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ストア哲学の三位一体

ストア哲学の聖典とも言える「道徳書簡集」、「提要」、「自省録」。ローマ時代の後期ストア哲学の3つの名著。それぞれ124通のレター(365日の3分の1)、52章のマニュアル(52週)、12巻のジャーナリング(12ヶ月)は、まるで現代のネットさながらに様々なスタイルでストア哲学を描き出している。

Ⅰ.Επίκτητος(50年ごろ - 135年ごろ)
エピクテトスは、奴隷階級の出自と言われているが、現代人にそのあり方の想像は難しい。どこまで事実なのかはわからないが、奴隷時代のイメージを膨らませるのには、酒見賢一さんの短編集「ピュタゴラスの旅」の最後を飾る「エピクテトス」を読むとよい。セネカとの出会いも描かれている。解放後、ムソニウス・ルフスを師として、ストア哲学に磨きをかけ、自身では著作を残さなかったが、『アレクサンドロス東征記』を著したアッリアノスが師エピクテトスの教えを記録した。それが「語録」であり、さらにその要点をまとめたハンドブックが「提要」(エンキリディオン)である。蘊蓄を述べれば、現代ギリシア語で、Εκεχειρίαは「休戦」の意味、古代ではオリンピック中の「聖なる休戦」のことで「手を下ろすこと」を意味し、「外科医」を意味する現代ギリシア語は、χειρουργόςと「手仕事をする人」が由来で、共通する χέρι は、「手」の意味を持つ。そして、現代でも、Εγχειρίδιοと言えば、「ハンドブックとかマニュアル」といった携帯して手で持ち運べる本のことを指している。

Ⅱ.Marcus Aurelius Antoninus(121年4月26日 - 180年3月17日)
ローマ帝国の第16代、五賢帝の最後の皇帝である。当時、ローマ帝国は史上最大版図を誇る一方、ゲルマン人たちとの戦い、疫病の流行で綻びを見せ始めていた。その舵取りをする皇帝が一人、寝室や戦場での宿営地で夜な夜な自らを振り返って書いたのが、「自省録」である。タイトルは、ギリシア語で「タ・エイス・ヘアウトン(Τὰ εἰς ἑαυτόν)」で、意味は「彼自身へのもの」で、本来、他人に読ませるために書いたものではなかったという。漫画「ミステリと言う勿れ」に登場するライカが使う暗号の換字表が「自省録」であった。ライカは、第4巻から登場する。

Ⅲ.Lucius Annaeus Seneca(紀元前1年頃 - 65年4月)

日本での知名度は落ちるため最後に配したが、ほぼ、イエス・キリストと同い年で、3人の中ではもっとも古い時代を生きた人である。現在のスペイン、コルドバ生まれで、ローマ育ち。悪名高い皇帝ネロの幼少期の家庭教師、ネロの皇帝就任後は初期において補佐を勤め、最後は皇帝の猜疑心から自害を命じられ、自死する。そのことからローマのソクラテスとも呼ばれ、著名な画家たちの題材となっている。ルーベンスの「セネカの死」などが有名。この投稿の冒頭に挙げたのは、プラド美術館のManuel Domínguez Sánchezの作品。ストア哲学の考え方から自殺を受け入れたが、自殺の肯定がキリスト教徒との最大の対立点になっている。イギリスのシェークスピアやフランスのラシーヌやコルネイユに遥かに先立って多くの悲劇を物した。最晩年にラテン語で記した「ルシリウスへの道徳書簡集」が最もストア哲学を伝えてくれるが、日本では全訳を入手するのが難しい。中野孝次さんによる「セネカ 現代人への手紙」は124通の手紙のうち80通を訳している。先に紹介した「エンキリディオン」や「自省録」は原文がギリシア語であるのに対し、フランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語などの祖語となるラテン語で書かれたセネカの著作は、日本でもっと普及しても良かったように思うのだが、近代化に邁進した日本の思想界から抜け落ちてしまい、おそらくそのことが、鴎外・ナウマン論争の一因にもなったのではないか。ちなみにドイツレクラム文庫では、セネカの全著作が文庫化されているそうだ。

「老後の愉しみ①」として、セネカの道徳書簡集をロマンス系言語の現代語訳を参照して日本語に訳してみたいな、と。そう言えば、学生時代に故二宮睦雄先生にラテン語を習ったな。人間年を重ねると、古典に惹かれるようになるのかな。

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