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友よ、水になれ。
テレビは観なくなったのだが、それでも好きな番組がある。NHKの「映像の世紀 バタフライエフェクト」がその1つだ。「香港 百年のカオス 借り物の場所 借り物の時間」の回で、香港抗議デモのスローガンがブルース・リーの「友よ、水になれ!」であったことが紹介され、そのナレーションに警察の弾圧に水のように離合集散するデモ参加者の映像が重ねて映し出された。雨傘運動ではリーダーの拘束により終焉を迎えてしまったことを反省して、リーダーのいない水のような柔軟無形のモデルを採用し、オープンソース抗議モデルとも称された。詳細は、ARS ELECTRONICAの "Be water" を紹介するスライド [pdf] に詳しい。とにかく、スローガンは、広東語ではなく英語で叫ばれたのだ。では、中国語では、「友よ、水になれ」という言葉は、どのように訳されているか調べて見ると、つぎのようであった。
像水一样吧,朋友
xiàng shuǐ yī yàng ba péng yǒu
ㄒㄧㄤˋ ㄕㄨㄟˇ ㄧˊ一ㄧㄤˋ ㄅㄚ˙ ㄆㄥˊ ㄧㄡˇ
「像」は動詞なのだろうか、前置詞なのだろうかと考えてしまう僕は、中国語のセンスがないのだろう。まさに、水のごとく漢字の置かれる位置により柔軟に働きを変えるのが、中国語の本質で、印欧諸語の呪縛から逃れる必要がありそうだ。
一方、スペイン語では、"Sé como el agua, mi amigo" と慣れ親しんだ表現をする。そういえば、"Como el agua"(水のように) というフラメンコがありました。
フラメンコと言えば、スペイン内戦で殺されたロルカ。その詩作の語彙を分析すると、単語の使用頻度は、第1位が "No"(英:not)、第2位が "Es"(英:is)、第3位が "Luna"(月)、第4位が "Corazón"(心)、第5位が "Agua"(水) だそうだ。その「水」を主題としたロルカの詩で有名なものは次のものだろう。
Agua, ¿dónde vas?
水よ おまえはどこへいく?
Riendo voy por el río a las orillas del mar.
わらいながらぼくは流れる 海辺まで
Mar, ¿adónde vas?
海よ おまえはどこへいく?
Río arriba voy buscando fuente donde descansar.
流れをのぼって ぼくはさがす ぼくのやすむ泉を
Chopo, y tú ¿qué harás?
なにをおまえはしているのか ポプラよ
No quiero decirte nada. Yo..., ¡temblar!
いいたいことなどありません ぼくはふるえることができるだけ
¿Qué deseo, qué no deseo, por el río y por la mar?
川と そして海から どこへぼくの望みを投げようか
Cuatro pájaros sin rumbo en el alto chopo están.
(あてもなくカラスが四羽 高いポプラにきてとまった)
ロルカは、ファルデス川渓谷のアラメダのポプラの森へ出掛けたのだろうか?水と川で連想するのは、「方丈記」の冒頭。スペイン語訳とともに引いておく。
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。
La corriente del río jamás se detiene, el agua fluye y nunca permanece la misma. Las burbujas que flotan en el remanso son ilusorias, se desvanecen, se rehacen, y no duran largo rato. Así son los hombres y sus moradas en este mundo.
地理的にも時代的にも異なる文化で、空間的無形性、時間的一回性という共通した概念を「水」が象徴しているのは面白い。そんなことを酔いにまかせて思いに耽る「水」曜日の夜でした。
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