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スペインの「良い政治」

スペインに関心をもったきっかけは、ラテン・ポップスであった。ラテン御三家と言うとジェニファー・ロペス、リッキー・マーティン、エンリケ・イグレシアスという時代があったが、それよりもさらに一世代も前の昔、永田文夫さんがナビゲータをつとめるNHK-FMの「世界のメロディ~ヨーロッパの旅」というラジオ番組で、エンリケ・イグレシアスのお父さんであるフリオ・イグレシアス、カミロ・セスト、ラファエルがスペインポップスの御三家として紹介されていた時代だった。その頃、映画「二十四の瞳」で高峰秀子の夫役や「仮面ライダー」の死神博士役で有名な天本英世さんが、小説「若い人」や最近では映画「PとJK」の舞台となった遺愛高校でロルカの詩の朗読会を開き、そのduendeが宿ったパフォーマンスに感動し、図書館で函館出身の作家長谷川四郎訳の「ロルカ詩集」を借りて読んだ記憶がある。

動画はもちろん当時のものではなく、天本英世さんが採用した訳は小海永二訳が近いようだ。

Si muero,
dejad el balcón abierto.
El niño come naranjas.
(Desde mi balcón lo veo).
El segador siega el trigo.
(Desde mi balcón lo siento).
¡Si muero,
dejad el balcón abierto!
ぼくが死ぬとしたら
バルコンはあけといてくれ
子供がオレンジをたべている
(バルコンからそれが見える)
農夫がムギを刈っている
(バルコンからそれが見える)
ぼくが死ぬとしたら
バルコンはあけといてくれ!
        「さらば」 長谷川四郎訳
わたしが死んだら、
露台バルコンは開けたままにしておいて。
子供がオレンジの実を食べる。
(露台バルコンから わたしはそれを見るのです。)
刈り取り人が麦を刈る。
(露台バルコンから わたしはその音を聞くのです。)
わたしが死んだら、
露台バルコンはあけたままにしておいて。
         「暇乞い」小海永二訳

"Despedida" Federico García Lorca

ロルカは1933年ブエノスアイレスでドゥエンデに関する講演を行っている。
その講演の中でドゥエンデと死の関係を論じた。

Todas las artes, y aun los países, tienen capacidad de duende, de ángel y de musa; y así como Alemania tiene, con excepciones, musa, y la Italia tiene permanentemente ángel, España está en todos tiempos movida por el duende, como país de música y danza milenaria, donde el duende exprime limones de madrugada, y como país de muerte, como país abierto a la muerte.
すべての芸術は、そして国でさえも、ドゥエンデ、天使、ミューズの能力を持っている。ドイツには例外を除いてミューズがあり、イタリアには永久に天使があるように、スペインは夜明けにドゥエンデがレモンを絞る音楽と千年ダンスの国として、また死に開かれた国として、常にドゥエンデに動かされている。
En todos los países la muerte es un fin. Llega y se corren las cortinas. En España, no. En España se levantan. Muchas gentes viven allí entre muros hasta el día en que mueren y los sacan al sol. Un muerto en España está más vivo como muerto que en ningún sitio del mundo: hiere su perfil como el filo de una navaja barbera. El chiste sobre la muerte y su contemplación silenciosa son familiares a los españoles.
どの国でも死は終わりである。死が訪れ、カーテンが引かれる。スペインは違う。スペインではカーテンは上げられる。多くの人々が、死ぬその日まで塀の中で暮らし、太陽の下に連れ出される。スペインの死者は、世界のどこよりも死者として生きている。死に関するジョークとその静かな思索は、スペイン人にとってなじみ深いものである。

Teoría y Juego del Duende” Federico García Lorca

そして、その数年後暗殺されることになるのだが、自ら危険に近づいた感もある。スペイン内戦の引き金を引き、カウディーリョ(総統)に登り詰め、独裁者として82歳までスペインを率いたフランシスコ・フランコの「暇乞い」の演説の一部を抜粋する。

Pido perdón a todos, como de todo corazón perdono a cuantos se declararon mis enemigos, sin que yo los tuviera como tales. Creo y deseo no haber tenido otros que aquellos que lo fueron de España, a la que amo hasta el último momento y a la que prometí servir hasta el último aliento de mi vida, que ya sé próximo.
わたくしは、国民のみなさんにお許しを願います。凡そ、わたくしの敵と自ら広言されているすべての人びと───わたくしは、そうはおもっていないのです───を、わたくしが心から許すと同じように、どうか、わたくしをお許しください。わたくしは、わたくしが心から愛し、最後の息を引き取るまで───そのときはちかいのです───奉仕することを誓った祖国の敵以外には、敵はいなかったと深く信じ、そうおもっております。

Último mensaje del Jefe del Estado, D. Francisco Franco Bahamonde 中丸明訳

カウディーリョ(総統)フランコはこの演説を、"¡Arriba España! ¡Viva España!" で締めくくった。"¡Arriba España!" (立ち上がれ、スペイン!)は反乱軍の、"¡Viva España!"(スペイン万歳!)は共和国軍の勝ち鬨の声であった。スペイン内戦は、よく進歩的な共和主義者に対して起こした保守的な軍人たちの反乱として二項対立で語られるが、当時のスペインは極右から極左までのグラデーションで、一種のアナーキーな状態であり、典型的なガリシア人の彼は我慢ならず、ちょっと行き過ぎたプロヌンシアミエントを企んだら棚ぼたで、総統を押し付けられてしまったというのが実態で、彼もまた悪い政治の犠牲者のように思う。

スペインの悪い政治は、この時代に始まったことではなく、次のような逸話が昔から語られている。

Cuando Fernando III tomó Sevilla y murió, como era santo, escapó al purgatorio, y, al llegar al cielo, Santiago le presentó a la Virgen, la cual en el acto le permitió que pidiera algunos favores para su amada España. El monarca deseó que se le concediera aceite, vino y trigo, y le fue concedido; un sol claro y cielo alegre, hombres valientes y mujeres bonitas, y se le otorgó todo; cigarros, reliquias, ajos y toros, y no hubo inconveniente alguno; un buen gobierno.—No, no—dijo la Virgen—; no es posible concederte eso, pues si te lo concediese, ningún ángel querría quedarse veinticuatro horas más en el cielo.
聖人であったフェルナンド3世がセビーリャを占領して亡くなったとき、彼は煉獄に逃れ、天国にたどり着いた。聖ヤコブは彼を聖母に召し出し、その場でマリア様は彼が愛するスペインのためにいくつかの恩恵を求めることを許可した。
君主は油、ワイン、小麦をお願いし、それは叶えられ、澄み切った太陽と陽気な空、勇敢な男たちと美しい女たちを願い、それらもすべて叶えられた;
葉巻、聖遺物、ニンニク、雄牛、それらにも異論はなかった;
では、良い政治をと言うと、いや、いや、いや、いや、聖母は拒否した;
「あなたたちにそれを与えることは不可能です。もし私がそれを与えたら、どの天使も天国に24時間以上滞在したがらないでしょう」。

"Las cosas de España" CAPÍTULO IV(1846) Richard Ford

良い政治は天国にもないということなのでしょうか…レコンキスタの時代から政治に恵まれなかったスペインもフランコの死後、王政復古から1978年12月6日の国会で1978年憲法を可決し、立憲君主制に移行、民主化を果たし、2005年には同性婚を認め、2021年には安楽死法を可決し、人間の生き方の多様性を受け入れる国家の一つになっているである。

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