ほっといて〜
鷲田清一「〈 ひと 〉の現象学」。本は、漫画、雑誌、小説はみることがありました。こちらの本は、ずっと積んだままでしたが、ぐっと惹かれて久しぶりにそこそこみました。(全部みてない!)「わたし」たらしめてるのってなんだろう。人、物事の本質、真理って、なんなんだろう。そのまま、そのものって、なんだろう…。みていくうち、知ろうとすればするほど、なにか「掴もう」とすればするほど、キャンパスに色をのせては消してしまう…。ここに文字を書こうとしては、 また消してしまう…。そんな行為ととても、近しいな、と感じます。
けれども、そんななかでも、なんとなく、きになった箇所の羅列。
・顔と仮面・面・マスクの違いって何…。
・何か「ある」、何か「いる」の違い。保育でも學んだ「ある」から「なる」って、何。
・文楽の「振り」、「舞」。歌舞伎などの芸能で「装う」でも、「まねる」でもない女性として「ただ意味している」、「自然な本質」。
・内外、表裏、外面奥の行き来。反転。
・身体は魂。魂という容れ物に「わたし」が出入りする。
顔をみて、「あ、あの方だ」と認識するというよりも、頭から指先足先にいたるまでの動きであったり、その人がたいせつにしていることが滲み出ていたり、随所にたらしめていることがあって、それが現れたり、消えたり…。面白いなぁ。
今朝は、地元の農園に伺いました。草も程よく生えていて、いい意味で、ほってある。関西では、「それ、そないに構わなくていい」のことを「ほっといて」と言ったりしたのですが。まなざしはありながらも、その構いすぎない感じ。アボカド、梨、ポポー、グァバ、ハーブ色々、葡萄、キウイと、程よい距離感、間があって。ええ塩梅な感じが、なんだかゆるやかで。野性味溢れていて、きもちよかったです。
午後から予定を入れていたけれど、どうにもこうにも眠くて眠くて。どんどん心身がてこでも動かなくなってきて、すぐにキャンセル入れて、即寝しました。さまざまなコンディションでも、みずからの選択で全てが最善になってゆく。
起きて朝作っておいた切り干し大根と干し蓮根と南瓜の味噌汁と玄米ご飯のおむすび食べて。湧き水をパートナー氏が汲んでくれたので、その湧き水をごくごく…。気圧も台風の影響でしょうか、頭痛もします。
実家の家族や学生時代の友人とやりとりしていて、間とか、ほどよい放っとかれ感って、ええなぁと、あらためて感じています︎︎◌
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