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ふしぎがいっぱい

根切りをしたゼラニウムは葉を巻いていたので、給水ボトルで根元に向かって水を吸収出来るようにしてみる。
イタリアンパセリは、葉が黄色くなってきて、花が咲いても中途半端なまま、萎れていた。受粉出来ていないらしいけど、いくつか実がなっていたものを切って乾燥して、種取りをしてみる。そうそう!黒と黄色のシマシマの芋虫が二匹、葉にくっついていて、調べてみたらアゲハ蝶の幼虫らしい。成長過程を目の当たりにできたかもしれないけれど、見た目で「うわぁっ…」ってビックリしてしまって、はらってしまった。土の中に大量にいた幼虫も、どう過ごしているのか…。この間、起こすのも申し訳ないけれど、きになっちゃって掘り返したらもごもご、動いていた。大きくなってくれたらいいのだけれど…。

季節によっても、一日の巡りのなかでも、お日様の日射と日照の時間や角度が違うなぁと、感じていて。実際、鉢植えの植物にジョウロで水を差し上げる時間、鉢植えの置き場所、日向か日陰かなど、環境によって、萎れていったり、萎れても陰に移動したのは再びシャキッとしたりと、植物の様子や状態が変わることを感じます。

姪と水遊びをしていた時、顔に水が掛るのが、嫌。花火した時火が怖いから嫌と言ってる時。姪と甥のきょうだいで、ものを取り合うかなんかしているときに泣いた時。「名演技」やなぁと、感じました。なんにも纏っていない。けど、何かを纏っている。
遊びには、時間とか概念とか価値とか、どっか行っちゃって。なにか、深いところへ潜って入っちゃっているのかなぁ。
コズミックワンダー工藝ぱんくす舎「かみ」。この作品の出会いから、わたしの道は真っ直ぐに。なかでも、「カミ遊びとしてのアート」という中沢新一氏の作品にわたしは、言葉にし尽くせない「なにか」を今も、感じています。
「環境に影響したくない!」と駄々こねても、無意識にも意識しても何かに影響していることはただ暮らしているだけで、影響することもされることも、あちこちにあります。
自発的・他発的、受動的・能動的、積極的・能動的とわかりやすく、きっぱり分けられるようなことというよりも。影響って、人の生み出す芸術、美術、芸能…。その人が響いて、表現したことに「なにか」が触れて、響いて。共鳴して、湧き上がったり、突き動かされたり…。そうやって無限に、巡り巡っていくものかなぁと感じています。それは、自我とか、答えとかというよりも、より透明で、すけすけな。核、軸、本質と言われるものに、触れた、響いた。それ、だけ…。人って、面白いです。
先日、上白石萌音さんに少し触れましたが、嬉しいことにこんなコラボレーションが!自分として歌うことについて話をされていて、とても興味深かったです。次回が楽しみ!(8月8日朝7時に次回更新されるようです!)





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