ただ、聴く

本日も、ただ湧いていることを
熱量そのまま
お伝えします

ミヒャエル・エンデの「モモ」と出逢ったのは、学生の時
100冊の児童文学をみて、その感想をノートにまとめるという課題があった
はじめ50冊かと思ったけど、当時ネットがそんなに主流ではなく、絵本や児童文学のあらすじを読み漁り、話の大体の流れをみて、白目剥きながら感想を書いた記憶が残っている
夏休みが実習で消えて、論文も冬には提出しないといけないなか、二週間ばかりの春休みにこの課題をこなすのは、50冊だが、100冊だか、もうどちらでも、鬼やな‥
そのノルマをこなすように「モモ」をみはじめたのだけれど

内容はほとんど忘れた
ただ、あ、モモがしてる、「ただ話を聴く」って、なんかええなって感じた

「ただ話を聴く」ことに
なにかしらの布石が
わたしにとっては、散りばめられてる
そんなきがしてんねん

ほんで、その「ただ話を聴く」ことには
ちきゅうにとって
うちゅうにとって
膨大な
莫大な
必要な
たいせつな
ヒントや
メッセージが
あるきがしてならんねん

どんなに、くだらなくても
どんなに、しょうもなくても
どんなに、些細なことでも

なんのフィルターも通さず
思いも、感情も、念も入らず
川が流れる、風が吹く、波が寄せては返すように
ただ、聴く
そこに
一体 全体 が

含まれてる

そういえば
野外調査実習で鯨の街にまつわる、
お祭りの笛、太鼓、獅子舞について現地の方から話を伺ったのだけれど

わたしは、その街の住人ではないし
ただ聴くことしかできない
それが、歯痒かったり、もどかしくもあったのだけれど

ただ、聴くことから

なんだか

内の
軸の
根幹の
本質的なことが
クリアに感じる感覚が、あった

わたしは、それがしたいわけでも
せなあかんと、感じているわけでもなく
ただ、なんとなく
「わたし、それ、意識的にも無意識的にも、やれちゃうな」って、感じてるねんな

窓口つくると、互いに構えちゃうきもするし
うーん‥

やっぱり
旅先、立ち話、家族や友人との会話など
なにげなく
さりげなく
フィールドワークしちゃってる感じが
しっくりくるな
相談に乗るとかは、苦手やけど
話聴くのは
その人の
そのままが現れちゃってて
面白いんよな


つづく かも




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