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【小説】カブンショウ

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寡聞
見聞が狭く浅いこと。謙遜していうときの語。

過分
分に過ぎた扱いを受けること。また、そのさま。
多く、謙遜しながら感謝を表す場合に用いる。

過文
過ぎた文章を略した言葉。造語。
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 カカオが90%以上も使われているチョコレートはあまりにも苦くて、チョコレートというより土みたいだ。それでも吐き出さない程度には、風味からチョコレートが漂う。チョコレートがコーティングされたニセモノのようだ、と悪態を吐きたくなるものの、そもそもチョコレートは甘いものとは決まっていない、とでも主張されているようで、言い返すことはできない。しっかりとチョコレートの風味だけを残すその苦い土は、いつまでも舌の上に残り続ける。ぼくはそれがなんだかクセになってしまって、食べれば苦いと顔をしかめることを知っていながら、繰り返しこれを買ってしまう。一つを口に入れて、紙面に目をおとす。

・自分の頭が特別良いとは思わないが、「どうして皆こんなこともわからないんだろう」と思うことがよくある。

 チェックマークを付ける。

・褒められることが多く、その度に謙遜しすぎて疲れてしまうことがある。

 チェックマークを付ける。口の中の苦みがじわじわと喉に落ちていくのに耐えしのぎながら、水を飲む。

・世の中で、自分ばかりが辛く苦しんでいると感じることがある

 芯が折れ、炭のような跡が残った。部屋のどこかにあるはずの、消しゴムの欠片と替えの芯を探す。


 苦みがじわじわと喉に落ちてくる。90%以上のカカオを含むということは、「ほぼカカオ」とも言える。人間はどうだろう、と考える。ぼくだって、本来「人間」というよりは「ほぼ人間」なのだと思っている。ほぼカカオのチョコレートを口に含んで、苦いけれどもチョコレートの味がするからチョコレートに分類されるとわかる程度には、ぼくは人間であると言える。人間の定義を考えたとき、考える葦であるならば人間とするなら、アンドロイドやAIも、ほぼ人間なのかもしれない。
 しかし、人間であることを裏付けるのは、生まれてしまったということに他ならない。死んでいくこともまた、人間であることを示している。言うなれば、それ以外の、夢がある、働いている、家族を形成している、愛する人がいる、などなどそういう要素がなくても人間に他ならないと言える。定義を「社会人」という言葉にするのなら、また変わってくるが。

 ぼくはまたチェックシートに目を落とす。過半数以上にチェックマークが付いている。ぼくはまた今日もぼくに診断される。ぼくがぼくを見失わないためには、そういう症状の出る病気なのだ、と診断されなくてはならない。ぼくはそういう病気だから、仕方ないから、と考えるようになれば少し気持ちが落ち着くことに気づいたのは、わずか数月前のことだ。それまでは、病気でもないのにこんな気持ちになることを嘆いてばかりいた。簡単なことだ。神がいないと思う方が辛くなる。自分にとって絶対の神がいる人の方が幸せに決まっている。信じるものは救われるの真意は、信じるものがある人の方が精神的に幸せになりやすいということだ。ぼくは信じるものがないから、ぼくは悟ってばかりだから、どんどん追い詰められてしまった。だからせめて、自分を診断して信じることにした。


 仕方ない。生まれてしまった以上は、自分が物語の主人公になってしまうのは仕方ない。自分の人生における主人公は自分でしかない。その物語が、映画やドラマのように物語的じゃないだけで。いつも脇役のようにいても、何も成さなければ何も得られなくても、主人公であることには変わらない。降りられない。仕方ない。

 そうやって、たまに世の理全てを知った気になることがある。なぜ多くの人がこんなことにまで考えが至らないのだろうと思うことがある。そのうち、本当はわかっているけどそんな無駄なことを考えるような暇もなければ、降りられない物語をよりよくするために余計なことを考えないようにする術を身につけたとも言える、と思う。ぼくはそんなことですらわかっているというのに、


 言いかけた言葉を飲み込むと、反動でくしゃみが出そうになった。口を押さえようとした手で、目をこする。こすり続ける。なんとなく苦くて辛い、というのが人生を終える理由になることを、ぼくは少しも疑いはしない。

もっと書きます。