【小説】自分の中での娼婦
一人で何処かに旅立ちたいという情緒不安定な欲求を叶えるために初めに行くとしたら、全く知らないような国にするのが良いと思った。そのために地図を広げて悩み、結局選んだのは、かろうじて中東らへんということだけはなんとなく察することができる、というくらいの前情報しかない国だ。
格安プランすらないような飛行機の渡り乗りで、たどり着いたのは空港というよりは、恐ろしく大きな箱のような場所だった。そんな箱の対角線上の中心で、現地のガイドと会う。あまり真面目そうには見えない。箱を出ると、茶色がかった景色が広がる。地面は勿論のこと、マーケットも家も、空ですら砂をばら撒いたような光景だった。ガイドが喋るのをやめたと思うと突然唾を吐いて、靴でねじるように踏んだ。
到着したのはすでに夜に差し掛かったあたりだった。今日は夕飯を摂ってすぐに寝て明日に備えたい。そうガイドに告げ、マーケットに連れて行ってもらう。ガイドは乾いた声で、果物や謎の料理が並ぶさまざまな屋台を案内する。自国の商店街と同じように、両側に店が連なっており、客引きの声が飛び交う。その活気さを私は気に入った。それでいて人も疎らで、私はゆっくりと見てまわることができる。ガイドともだんだんと打ち解け始め、彼がおすすめだという郷土料理の店まで案内してくれることになった。私はできる限り砂ぼこりが舞わないように、丁寧に足元を見ながら歩く。
聞き取りにくい女の声に顔をあげた。なんと言っているかはわからないが、何故かそつなく、こなれた口調だということはわかる。長く、緩いウェーブのかかった髪の下には長い首があり、肌と同じ色のワンピースを着ていた。体格の良い男の耳元で囁くように何かを喋ったと思うと、狐みたいに微笑み、棒のような足の向きをくるりと変えた。裸足だった。全身が、ぺらぺらの紙みたいに、細いというよりは薄い。そして彼女は手元に、ぐちゃぐちゃになった札束を持っている。そのままさらさらと私たちの間を水が流れるようにすり抜けて行った彼女は、娼婦に違いなかった。私が振り返って彼女を目で追う間もなく、ガイドが店を見つけた。すすめられた郷土料理は、うまくもまずくもなかった。そしてやっぱり、茶色かった。
安いホテルで、与えられた寝室は劣悪なものだった。しかし、私は寝つきの悪い方ではなかったので、すぐに眠りに落ちた。街灯すらない暗闇の中で一人丸くなる。しかしだんだんと目の前が明るくなっていき、草原にやってきたと思うと、茂みから先ほどの娼婦が現れた。夢だ。すぐに思った。夢だとわかっていても、布一枚でできたようなワンピースの袖を掴み、くるくる踊る娼婦から目が離せないでいた。夢の中で私の身体は指先しか動かなかった。娼婦の髪が、一回転する度に必ず一度、爪先と掠った。瞬きすらできず、涙と汗が絶え間無く顔をつたっていた。私は娼婦をじっと見続けて、ようやく起きたときは、寝た心地がしないどころか、目を閉じた記憶もなかった。
次の日、彼女は私の目の前にもう一度現れた。今度は夢ではない。娼婦は、屋台で串焼きを売っていた。娼婦は、どうやら娼婦ではなかったのだ。彼女は人当たりの良い笑顔を振りまいていた。無論、その串焼きを買った私にも。しかし彼女を目の前にしても、私が作り上げた娼婦は、まだ私の頭の中で回転を続けていた。くるくると、白くて薄い身体を。何もかもをかき乱すように、微笑んでいた。
2013/11/9 お題:自分の中での娼婦 制限時間:30分
もっと書きます。