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【小説】毎日雷で一人死ぬ街の話(仮)


 私の町では必ず毎日一人が死ぬ。一人以上が死んでる日もあるのだろうけど、一人は確実に死ぬので、そういう言い方になる。
 とりあえず、毎日必ず誰か一人が雷にうたれて死んでしまう。それがこの町の、普遍でないが、不変なことだ。

 雷はあまりにも至るところに、確実に一人の命を狙って落ちる。その狙いはあまりにも正確すぎて、スナイパーのように一人の命だけを奪う。一方で、周囲のものや無生物には何ら影響を及ぼさない。ただ一人の心臓を止めるだけだった。
 傾向分析をすればするほど、様々な面で雷の性質に反している、と専門家が頭を抱える。そもそも本当にこれは雷なのか? とまで議論が交わされたが、雷であることはどうしても揺るがないらしく、頭を抱えすぎた彼らはだんだんと黙っていくばかりだった。
 これは神の裁きなのだ、と宗教家が言い始めた。宗教家、オカルト好きの好奇心にとって私の町はあまりにも適していた。彼らは目を輝かせて観光にやってきた。それに乗っかるように、観光業も力を入れた。落雷せんべい、落雷まんじゅう……小さな商店を中心に、半ば自虐をするように、商人たちは町の活性化に努めた。都市伝説サークルで合宿に訪れた大学生の一人が雷に襲われてからは、少し落ち着いてしまったけれど。


 彼らのいうところの神の裁きは、あまりにも無作為だった。悪人も良人も関係なく、法則性もなく、一人が毎日死んでいく。先日、生後二ヶ月の赤ん坊が犠牲になった。小学校の頃に同窓だったが特別親しくはなかった夫婦の、待望の第一子だったそうだ。この町で生まれ、この町で育ち、この町で子どもを育てると決めた彼らが、どのような感情で我が子を弔ったのか、私には少しも想像することができないでいる。
 理不尽で、無残なこの神の所業としか言いようのない落雷。宗教家たちは、なぜか隣町に施設を構え、落雷で死んだ人々に毎日祈りを捧げ続けている。その祈りに、その立地に、その感情に、意味はあるのだろうか? と考えては、そんなこと誰にも決めることではないか、と私は自己完結する。

「どの町だって、一日一人くらいは死んでるでしょう」
 女性市長はいつも凜とした表情で答弁をする。この世の全ての料理の味に飽きてしまったような顔をした彼女の表情を見ているうちに、私もだんだん同じ表情をするようになってきたように思う。

 この街に住み続ける人が減らない理由には、世界一不安定なこの街は、世界一生活が安定しているというのがある。雷で死んだ場合、その遺族には国から多額の補償金がおりるし、そもそもこの町の住民であるだけで医療費もただに等しいし、家賃だって激安。特別手当も毎月もらえるわけだから所得は平均の倍くらいになる。
 それでも私たちの街はいつまでも、何かと話題になってしまうので、私はネットニュースやSNSでそれを見ては、はいはい、と味のしない水を飲み込むように、横目で流していく。今日もまた、一人のYouTuberが「雷の落ちる街に一泊してみた」と動画を出しては、微妙な数の評価を得て、さらに微妙な数の低評価をたたき出していた。

 こんな話題、毎日のようにある。友人たちは、この街の絵や写真を売って生計を立てたり、週に一度だけコンビニで働いて、他は趣味にあてていたりと、かなり自由に過ごしている。一方で、この街の一般企業で事務職員として働く私のことを、やたら咎める人もいる。その度にどうしてそんなことを言うのか、私はわからなくなって、また市長のような表情を浮かべてしまう。私はこの街のことを特別だと思っていないので、この街に生まれて、この街で暮らして、毎日誰か一人の死を身体に刻むこともなく、ただただ一人成長して、こうして働いて、今日誰かが死んで、明日誰かが死んで、を繰り返してきたし、これからも繰り返すのであろうから、それにただ従うだけだ。事務職員として働くのに理由もないし、生きるのにも死ぬのにも同様だった。もちろん私もいつか死ぬのだろう。雷か、寿命かはわからないが。でも私はこの街に住んで死ぬことが、他の街に住んで死ぬことと違うとは思えない。


 朝、いつものように出勤準備をする。オンタイマーで点いたテレビには、お馴染みのニュース番組が流れる。この街限定の放送局で、雷の情報を申し訳程度に出してくれる。しかし、今日は少し様子がおかしい。手元の原稿を持つ手が、アナウンサーの表情が。一滴の水滴が水面を揺らしているような微妙な違いがある。私は朝食のハムエッグを噛んで、水を飲み込んで、アナウンサーの一声を見守る。

「本日、落雷による死者は二名です。繰り返します、二名です」





もっと書きます。