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【映画】ミッドサマー再び。ディレクターズカット版を受けて。

ミッドサマーディレクターズカット版をキメました。

同時に、二回目の鑑賞をキメたことで、一回目よりも色々考えながら観れたというのもあり、思うことがまた出てきたので、DC版について+あらためて感じたことについて、雑多にだらだら書きます。
※ネタバレは有りまくります。


先に、通常版についての感想はこちら↓


●DC版観た率直な感想

まず思うこととしては、通常版より「よりわかりやすくなった」ということに尽きます。
追加シーンは大体認識できた (とはいえまだ二回目だから自信はない) と思うんだけど、あーあの展開の前にこのシーンがあったのね、とか、このシーンがあることでよりダニーの感情がより伝わるなとか、そういうシーンが多かった。

時間で比べると通常版が147分、DC版が170分。うえー約3時間! とは思いつつも、長いとか蛇足とかは感じなかったです(その感覚については、私がミッドサマーに囚われているかもしれないのであてにならないかも)。

ちょっと思ったこととしては、通常版の方がいい感じに「不穏さ」が強く描かれている気がする。DC版の方がそこに至るまでの過程が詳しく描かれているから、わかりやすいんだけど、より説明的と感じるようなことはあるかも。

よく知りたいならDC版、不穏さを全面に感じるなら通常版、というところ。ミッドサマーを余すことなく知りたくて仕方ない人は、両方見るのが吉だと私は思います。通常→DCの順で観たのは正解だった。


●クリスチャンについて(DC版でクズっぷりが増し増し)

DC版で一番追加されているのはクリスチャンのクズっぷりといっても過言ではない。
ついでにモザイク消えるので局部も増し増しです。クリスチャンのクリスチャンからモザイクなくなったことがR-18要素なんだけど、逆にいうとR-18要素がマジでそれだけなのがわらえる。

ただそれに関して一点、見間違いだったら大変あれなんですが、クリスチャンのクリスチャン、血がついてなかった……? 生々しいなおい、となりました。


というのはおいといて、クリスチャンのクズ加減の話に戻ります。戻りたくないけど。
DC版では、クリスチャンとダニー、クリスチャンとジョシュの険悪シーンがそれぞれ増えています。

まず序盤の、スウェーデンに旅行行くってダニーに言ってなかった喧嘩のシーンが長くなっている。口論がエスカレートした結果、ダニーが突然弱気になり、「ごめん」とクリスチャンに謝罪して泣くシーンが追加。ダニーの暗さ・不安定さもこういったシーンから通常版より垣間見える。ここで、「ああ、この二人いつもこうなんだな」っていうのがよりわかるんですよね。結局いつも折れるのはダニーなんだなという。とにかく、クリスチャンに見放されたくないから。
しかしよりどうしようもないのはここからで、クリスチャンが「えーと、実はサプライズ!君も誘うつもりだったよ」とかほざいて、ダニーに「いや絶対私が泣いたからじゃん……」とすぐに悟られるも押し通す、みたいな会話が入っている。
ここで、ああ、クリスチャンはクリスチャンで、「最低限ダニーに気を遣っているというよりはもうほぼ反射でいい顔してるんだな」と感じる。「子供が泣いてる!お菓子あげよう!」みたいな直列回路的思考。冒頭で、家族を亡くしたダニーの泣き声が家の外まで聞こえてるシーンでクリスチャンが引いた感じの表情してるのも印象的なので、クリスチャンはダニーの泣き声にはもう「はいはい」と対応しちゃうのが癖になってんじゃなかろうか。

そんなクリスチャンの性質の悪さは、後に爆発する。
DC版では、ホルガ村の風習で登場人物の心が一機に乱されるアッテストゥパンの後に、夜の儀式のシーン(儀式の内容については後ほど触れる)が追加されているのだけど、その後に、ダニーとクリスチャンはかなり嫌~な喧嘩をする。

そもそも、村に着いた日はダニーの誕生日。完全に忘れてたのにペレにこっそり教えてもらったクリスチャン、「忘れてたと思った?」とやっぱりサプライズ演出だとほざきながらケーキを取り出すんだけど、蝋燭になかなか火がつかないってシーンが滑稽(二人の関係の煮え切らなさの隠喩にも思える)。そして、この誕生日を忘れていたことについて、儀式後の口喧嘩でクリスチャンはなんと逆ギレ。
村についてすこし経った頃、ホルガの村人たちが後ろ歩きをしながら花を摘むのを見て、ダニーも真似をして摘んできた花束をクリスチャンに渡すという描写があった。そのとき花束を渡したのは、なんと「誕生日を忘れてた自分への当てこすり」だと主張するクリスチャン。え、ええ~~。ダニーも私もびっくりだよ。

「はいはい君はいつも気が利く女性、俺はいつも鈍感。いつも非難される立場な俺!」と爆発が止まらないクリスチャン。呆気にとられる。ただ、同時に思うのは、ダニーがクリスチャンに離れてほしくなくてつい自分から折れるように、クリスチャンも前々から、先述した直列回路的思考でダニーに気を遣っていた(つもり)だったんだろうということ。すべて裏目に出ているようにしか見えないんだけど、クリスチャンはクリスチャンなりに我慢してきたんだろうというのがわかる。勝手にね。ダニーも勝手に我慢していたからお互い様っちゃお互い様。とにかく、こういうすれ違いがカップルの破局理由となること、決して珍しくないだろうなと思う、嫌~なシーン。

挙句の果てには、ホルガ村の風習に精神が振り回されて疲れ切ったダニーが「もう帰る」と言い出すんだけど、クリスチャンは「一人で帰れ」と言い放つ。

ああ、これがあったからダニーはジョシュに睡眠薬もらったんだな。ああ、だから皆に置いて行かれる夢を見ちゃったんだな。ああ、だからサイモンがコニーを置いて行ったって話で「あなたも同じことをしそう」とか言ってたんだな。などなどいろいろ繋がるシーンでした。

ちなみにこの次の日、ダニーはクリスチャンに謝ってまた二人は仲直りする。なんてこった。もう崩壊しきっているようなもんなのに、崩れた瓦礫同士で手を取り合ってる。


ダニーとクリスチャンの嫌なシーンはその辺が主。次は、クリスチャンの論文に関する嫌なシーンについて。ていうか最初っから最後まで嫌なシーンのことしか書いてない気がしますね。いやでもこれミッドサマーなので……。

クリスチャンがジョシュの真似してホルガ村をテーマに論文書く〜というクズエピについて、DC版ではもう少し言及が。

DC版ではスウェーデン到着後の車中のシーンが追加されており、そのときジョシュが持ってるルーン文字の本が話題になる。ちなみにこれによってルーン文字が作中で大きな意味があることを示しているのだと思うのだけど、それよりも、ダニーが「クリスチャンの論文のテーマに近そうね」と言ったことに「お?」となる。クリスチャンは気まずそうに「いやまだ決まってないから……」とぼかす。この時点では論文のテーマ、多分本当に全然決まってないよね。
これに関しては、二つほど見方があるなと思っている。一つは、ペレの勧誘力の凄まじさ。論文一直線!とまでなってたのはジョシュだけだったけど、人に流されやすいクリスチャンのことだから、論文書くまでの熱はなくとも、中途半端に興味持ってたんじゃないかという見方。もう一つは、ダニーに論文どうするの? とか聞かれて、「考えてない」とは格好悪くて言えなくて、ジョシュから聞いた囓った知識でダニーに頭良く見せる感じで語ってたんじゃねえかなという見方。うん。どっちにしろどうしようもなさすぎないか……? クリスチャンすげーよ。通常版の感想にも書いたけど、本当によくいるタイプの平凡モラトリアム優柔不断系クズだよ……。

それに加え、クリスチャンがジョシュの論文テーマパクるシーンの二人のいざこざも追加されている。
ジョシュが「電子図書館の使い方すら知らねえのに院生やってるお前が!? ていうかなんで院生になった!?」「俺は努力してきた、お前が俺を利用して近道をするなんて許せるわけねえだろ」とブチギレ。これらのセリフから、クリスチャンは過去にも真面目なジョシュを利用した(多分悪意はない)経験があるんだろうなというのが見えてくる。いやそれにしてもジョシュど正論すぎるわ。

クリスチャンのクズの話はもうちょっとだけ続く。
いや、クズの話の前にクッションとして、先にクリスチャンの気持ちに寄り添ってみますと、ホルガ村の文化に触れたのは、いろいろ流し流されしていた彼の理性をぶっとばす効果として十分だったのかもしれない。クリスチャンはクリスチャンで混乱していたのかなと。ホルガ村の儀式に触れて、もうなんか、どうでもいいわってなっちゃったのかも。それこそ流されやすいんだから、大きな刺激で動くタイプなんだろう。登山家のドキュメンタリーとか見て自分探しの旅にでかけるタイプなんだろうたぶん……。あれ、全然寄り添ってないな。はい。

寄り添った? ところで、まだクズ話続きます。
そうして論文のテーマを決めたクリスチャン。たださ〜クリスチャン根本があっっさいのがめっちゃ見えてくるのがもうすごくてさ〜〜〜

DC版では論文書くと決めた後に村人にクリスチャンが突然インタビューとかし始めるんだけど、くっっそ浅いんだよ。
さっき知ったばかりの、インパクトの強い儀式(アッテストゥパン)についてとりあえず質問してるところ、愚かの具現化みたいでめっちゃ面白かった。ただ、正直鑑賞者的にはホルガ村の性質が知れる良い質問でした(そこは褒める)。
それから、マークが先祖の木に粗相したときにクリスチャンが笑ってんのめっちゃ腹立たしくて笑える。論文に書こうとまでしてる文化を目の前にして面白がってんじゃねーよクズ。
後、クリスチャンは後半でマヤと最悪なセックスをするわけですが、通常版では飲まされたヤクにあてられたのが原因でやっちゃったって感じだったけど、DC版ではシヴに呼び出されたときの会話が増えてて、シヴが「うちの独特な性の儀式気になるでしょ」的な誘いをして、「セックスせずに見れないかなあ?」などと言ってるクリスチャンが見れる。お前興味津々じゃねーか!!

などなど。マジで……通常版で十分過ぎるほどクズだったクリスチャンが、よりクズに思えるのすごい。通常版ではなんとなく、ダニーの心情に寄りたかったのかななどと思った。クリスチャンクズ〜早く痛い目にあえ〜と観客が思いすぎては、情緒的にそぐわなかったように思うし。
以上、クリスチャンのクズな話でした。

あ、後これはわざわざ触れるまでもないかなと思ったんですが、クリスチャンのクズ度のほかにマークの愚かちゃん度も増し増しです。マジで触れるまでもないけど。
マーク、クリスチャンと別方向でなかなかにストレート愚か過ぎますよね。アッテストゥパンは寝てて見てないし先祖の木に粗相するし怒られたことよりも女の子への印象気にしてるし結果女の子に一本釣りされて殺されるし、マジで最初から最後までアホなので逆に愛おしさちょっとある。通常版の感想でも書いたけど繰り返させてほしい、お前が恐るべきは絶対にマダニじゃねえし、むしろマダニを恐れる気持ちがあるのがびっくりだよ。


●ペレについて(DC版追加要素でのペレ+鑑賞二回目であらためて見るペレの怖さ)


みんな大好き?ペレについて。
これはDCであることに加え二回目の鑑賞だから余計に感じるというのがあると思いますが、ペレが、ペレが最初から最後までとんでもないなーとあらためて。ペレマジデペレ。

二回目ではっとしたけど、冒頭で男どもがダニーと別れちゃおうぜ〜などと話してるシーン、マークは飲食店のお姉ちゃんを「孕ませろ」って下衆なジョークかましてるけどそこにペレがすかさず「6月にはスウェーデン女も」って突っ込んでんのね、うっわ……。ペレは孕ませろとは言葉にしてないけどこの流れだとスウェーデン女を孕ませろって言ったようなもの。うっわ……。

それでいて、これはDCでわかることなんだけど、ペレはマヤにクリスチャンの写真を前から見せてて、マヤは最初っからクリスチャン目当てだったっぽいんですよね。
マヤが最初に登場するシーン、鏡見て気合入れてるのはもうあの瞬間からクリスチャンに行く気だったわけだよね。何が怖いってペレだよ……まず写真見せてたってなに、どういう手段で? スマホ? それとも直接? いつ? もしかしてミッドサマーの前に打ち合わせとかしてた……?

後スウェーデン到着後の車中のシーンで、先述したジョシュクリスチャンの論文の話があり、ダニーが何気ない感じで「(みんなペレの故郷にこんなに興味を持つなんて)ペレの洗脳が成功したのね」って言ってるけどあれはなんの比喩でもなく、マジでそうだろうなと。
話術でちょうど良い生贄と外部の血と女王連れてきたペレ、有能すぎるでしょ。ラストで讃えられるの、そりゃそうだなって感じ。同じ引き込み役としてイングマールがいるけど、儀式中に叫んで儀式を止めようとする、すぐ帰ろうとする二人を連れてきちゃってるもんな。イングマールが最後生贄志願するのってその辺のことが理由になってんじゃないかなとも思う(というかイングマールは別に村に適した人材ではなく、サイモンとコニーをどうしても連れてきたかったし、それでよかったんだろうな。コニーを手に入れられないなら三人で死のうぜ精神なんだろうな……)

ペレはその点、いきなり受け入れることはないけど、論文書こうとしたり溶け込もうとしたりするめちゃくちゃ良い人選だよね。しいていうならマークが先祖の木に粗相したってのがあるけど、あれは流石にマークがあほ過ぎて想定外だったんじゃないかな。でも最後マークにブチ切れてたウルフが生贄志願してるから、多分あの粗相によって感情的になり、マークを想定してたより早めに殺すことになっちゃったんだろうな……などと。本当は外部の血要因二人目だったのかも。でもだとしてもあんなアホの血いる???(真剣に)

そんなペレ、作中は基本穏やかな表情してんだけど、二回目見てたらめっちゃ生き生きしてるように見えるシーンが多くて怖よかった。クリスチャンが怪しい薬飲まされるところとか、めっちゃしたり顔してない?
後ダニーへの取り入り方がガチ。僕は君と一緒だよ、と共感を示して近寄るの、勧誘者ムーブ過ぎる。ダニーが最初受け止められなかった(共感を表に出せなかった)のはあったけど、あれも含め、後半に自暴自棄になってるダニーにだんだんと距離を詰めるために長い時間かけてじわじわ攻める作戦かもと思うとマジでやばそう。一回では効かないことわかってて、受け入れてもらえるまで僕は君と同じ境遇だよとずっと繰り返し主張し続けるの、あのダニーの精神状況では落ちるに決まってるよな。やり手。
あ、後クリスチャンが裸で逃げ回って鶏サイモンハウスで捕まるシーン、倒れるクリスチャンの視界、ドアの隙間のところにチラッといるのあれペレ……? なのか……? 怖……。などなどペレに目が行きまくる二回目だった。

そんなペレの絵について、気になっています。
DC版には、村人には子どもの頃の特性で役割が自然と決まるっていう話が追加されてる。先祖の木に粗相されて激昂してたウルフは「(儀式を)守る者」という役割。守るはずが、想定外のアホが来てしまった所為で先祖の木が守れなかったけども。
それに関連して「巡礼」の話もある。いわば外界に出て、外部の血を連れてくるペレは正に巡礼で結果を残した人間だと思うんだけど、ペレには別の役割もありそうだなと思った。いや、正確にいうと別の役割も狙ってるんじゃないの? という印象。それが絵に関連するような気がする。子どもの頃の特性の話でいうと、ペレは絵に興味を持った子どもだったんじゃないかなと。だから独学、もしくは外部で絵を学んでる可能性がある。

その画力を何の役割に使うのかというと、あの村の中にあるタペストリーとかの絵なんじゃないかな。あれらってなかなかに特徴的だと思うんだけど、聖典ルビ・ラダーは障害を持って生まれたルビンしか綴ってはいけないように、儀式や風習を示す絵についても、もしかして決まった人が定期的に描いて更新したりしてんのかななどと。それで、もしもその役割をペレが担うつもりだったのであればやたら絵を描いてた理由になるような……。ペレは生贄と外部の血と新しい女王を連れてきたことで、ED後は多分あの村内で出世?的なことがあるんじゃないかと思ってるんだけど、ああいう絵は権力者が綴るものっていう可能性もあるななどと。いや〜、なんというかペレ、マジで村に染まってるというか、村をよりよくしよう! 精神が強そうだなと思ってしまったんですよね。その程度の根拠による妄想ですこれは。
とにかく敵にまわしたくない男ペレ、キャラクターとしてすごく気に入ってます。

クリスチャンとペレの話が長すぎましたが、
以下、その他雑多箇条書き。中くらいのと一言程度のと。

●その他雑多箇条書き


・90年に一度の謎解けるどころか深まる
二回観てあらためて思ったんだけど、90年に一度の祝祭ってマジでなに?一体どれのことなの……?
DC版では先述した通り、論文についてインタビューするクリスチャンのシーン(ちなみにマヤとの接触シーンでもある。マヤは英語喋れないから会話は別の人に任せてる)が追加されてんだけど、そのとき「アッテストゥパンを何度見たことがあるか」っていう質問に、「72歳の人がいる度にだから、まあ何回か」って言ってる。
あと女王も、毎年決めてる(ただ、それでいて過去の女王全然村にいなくない? 気のせい? これはちょっと不穏)。

生贄も女王も72歳祭も全部90年に一度ではない。
じゃあ何が? と思ったけど、ミッドサマーは9日間だから、作中で描かれた以降も続く。そう考えると、残りの日程に90年に一度の何かがあるのかもしれない。もしくは、通常版のときも書いたけど、90年に一度は外部の血を呼び寄せるための宣伝文句にすぎない嘘か。そのどちらかかな。
⇒追記:調べてたら、9人生贄のあれが90年に一度ってのが公式回答だというのを見つけました。
ただ、え、それもほんと? ってなってる。多分もっと人死んでると思うしもっと外部の人連れてきてると思うんだけど……(漠然とだけど)

・アッテストゥパンの後の夜の儀式
DC版のみ。女神への捧げ物として飾った木を川に投げる儀式が行われます(ここで、通常版では急に行方不明になり死んでいたコニーが、この捧げ物になったんだな、とわかる)。

木を投げ入れた後、村人たちによる演劇寸劇が始まる。捧げ物があれだけじゃ女神は満足しないよ、と一人がいい、でもじゃあ何を捧げたら……と困っているところに子どもが「捧げ物になるよ!」と立候補する。子どもはお腹に重たい岩を持たされ、体を持たれ、今まさに川に投げ込まれようとするところで、村人皆に止められる。「その子は十分勇気を示した! 助けてやりなさい!」と。
はい。その通り。茶番です。

これ、アッテストゥパンで老人がまあ普通に死んだ後に見る儀式だから、対比としてめっちゃ最低で皮肉ですげーなと思った。うちの村、現実的な儀式もあるんですよってアピールのつもりなのか? 老人が死ぬのは幸福なことだしサイクル的に決まってるから大丈夫、一方で子どもの尊い命は皆で守るよ……というとんでも倫理観見せつけられるシーンでした。
ふと思ったけどこの村で疫病とか流行ったらどうなるんだろうな一体。

・ダニーが女王になって食事してるときの冠の花の動き
一回目の時「え?」とぞわっとしたくらいだったんだけど二回目ちゃんとまじまじ見た。ぼこぼこ動く。きもっちわるい……。幻覚作用らしいなって感じ
※ヤクやったことないです。

・フローレンスピューやばい
女王になってからの圧倒的なかわいさがすごいし、中盤までのなんとも冴えない感じの女感もすごくいいのでフローレンスピューすごいなと思う。ダニーを演じられるのは本当にこの人だけだと思える。

・ラストシーンの村人たち
その前のダニーに同調して泣き叫ぶシーンではあんなに揃ってたのに、ここでは村人みんな悲しみやら喜びやら、皆違う、バラバラの感情が出されてる気がして気になる。クリスチャンじゃないけど、ホルガ村の人たちも自分がないからなんだと思う。合わせるべき手本が定まってないと皆よくわかんなくなっちゃうんじゃないかな。アッテストゥパンではみんな揃って嘆いてたよね。
ダニーも喜んでるか悲しんでるかわからない感じだったけど、ダニーの場合はまだ自分があるから、どちらの感情も正解なんだろうな。それにしてもダニーのラスト笑顔ほんっと何回見てもいい。最高。

・クリスチャンがヤクドリンク飲んだ後
ずっと気分悪そうにしてるところ、まだちょい謎がありそうで気になる。隣に座ってたおじさんに質問しようとしたら顔の前で思いっきり手叩かれんのもひどくて笑う。

・冒頭のダニーの留守電のシーン
気をつけて聞いてたらすでにガスの音してるな……。

・夜に逃げ出したっぽい二人
あれって一体なんなんだろう。どうなった? わからん。


とりあえず鑑賞後即思ったことについては以上です。
ちなみに全くたいしたこと書いてないのに、通常版についてのnoteは約5000文字、DC版についてのこのnoteは約9000文字になりました。摩訶不思議。なんでだよ。ミッドサマーについて人の感想読むの好きなので、自分でもめちゃくちゃ書いてしまった。誰かお時間のある人に届けばいいな。

ここまで書いといてなんですが私はミッドサマーのこと結局作品として好きなのかどうかよくわかりません。でもBlu-ray出たら買うだろうな。摩訶不思議。一緒に住んでいる人(怖い・不穏系苦手)にはバレないように、禁忌のように、そっと棚に忍ばせるんだ……。そういう作品なんだと思う。終わり。

あっ最後に!!ヘッダーはBookCafe&Bar 十誡さんで期間限定提供のミッドサマーカクテルです!!すばらしい! ちなみにこの見た目で甘い&度数高いです! ミッドサマーじゃん!!

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もっと書きます。