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【小説】あいまいみー、えーちゃん

< あいまいみー、えーちゃん >

あまりよく覚えていないし、思い出す必要もない。しかしこれは私の少しの欲望が、記録をまねいてしまうので、話す。
あみこのことは、イニシャルがAなので、えーちゃん、と呼んでいた。
いや、厳密にはイニシャルだけの話じゃなくって、「あみこって名前さ、なんかどうしても網を連想するじゃない。なんかエリカとかエリザベスとか、そういうお嬢様っぽい名前が良かったなあ」と言うので、それなら、えーちゃんでどうよ、ということで合意したんだった。忘れてしまったけれど、たぶん結構前に。コンプレックスとまではいかないが、えーちゃんは自分に対するこだわりは見えすぎるくらいには備えていた。彼女以外はあみこの「あみ」を「網」と変換したことはないだろう。しかしえーちゃんは、そういった部分も含めた全てを言語化して誰かに伝えようとし、それでいて自分を作り上げていくことに長けていた。顔立ちは整っていなかったが、所謂女の子としてあるべき部分やスキルをきちんと兼ね備えていたし、コミュニケーション能力も高く、ふらふらと男の子によってこられる様子も何度も見たことがあった。しかしえーちゃんはそういう部分もきちんとしており、自分の興味のない人には決してすり寄らなかったし、多趣味故に一人で行動するのも平気だった。周りが次々と恋だ愛だと浮かれる中で、さみしさだけに乗っ取られることはなく自分を貫いていた。

そんなえーちゃんには好きな人がちゃんといた。
えーちゃんが好きになった彼は共通の友人で、独特の雰囲気と自我を持った、同世代にはあまりいないタイプの男の人だった。私は彼を尊敬していたし、えーちゃんが彼を好きになることは納得だった。
結論から述べてしまえば、えーちゃんは彼と付き合うこととなったが別れ、次に彼は私と付き合うこととなって、その後私も彼と別れた。それらは全てあまりにも淡く、ふらふら揺れた途端に消えてしまうスクリーンセーバーのような風景だったと思う。今となっては、取るに足らないものだ。

私が彼と別れた頃は春で、さまざまな環境の変化も相俟って、せわしない日々が続いていた。その頃少し久しぶりにえーちゃんに会うことになった。待ち合わせた少しおしゃれなカフェはえーちゃんによく似合う。何も変わっていないね、と私にくすりと笑って言って、レモンティーを注文したえーちゃんを見ながら、ああ、えーちゃんも、と心の中でだけ思った。

「最近、どう?」定例文句のようなことを聞かれたので、私は「そういえば、話してなかったね」と彼のことをつらつらと続けた。えーちゃんの顔が歪んでいくのは、しっかりと見えていた。しかし、私は彼の話をやめなかった。

「私も別れてから連絡とってないからさあ、まあそういうタイプなんだろうねえ」
えーちゃんは彼にふられた後、友人に戻ろうと努力したが彼はそうしなかったことを浮かべながら。

「なんか、誰かに夢中になるっていうよりはまだ自分に夢中っていうかさあ。そんなん見てたら、私もまあいいかってなっちゃった」
彼と別れた後、えーちゃんがSNSに書いていた合コンや飲み会の話を浮かべながら。

あれ? 私はどうしてこんなに、聞きたくもなさそうなのがわかっている話を続けているのだろう? 何度も思ったが、それでも私の口から彼の名前は何度も飛んで行って、えーちゃんのお腹のあたりにどすどすあたっていった。
私が自主的に隠したことはただ一つ、彼はえーちゃんと付き合っていたとき、ずっと「好きではないな」と思っていたということくらいだった。

当たり前かもしれないが、その後すぐに私たちの縁は切れた。小学校の頃、同じ男の子を好きになった女の子との友情は未だに続いている。しかし、たぶんそれとこれは全く違う。何が違うかって、それは、静かだが急な波が腹の底から上がってくるような感覚。私が彼と付き合ったときには、もう私とえーちゃんは終わっていたのだなと感じる。
それこそ、彼と別れた後のことだったと思う。あれ、えーちゃんって、特段優れているわけではないのに何故か自信家で、我儘で、ミーハーで、自己顕示欲と自己愛が強くて……、私が普段えーちゃんに対して思っていた部分でないところ、それでもしっかりと私が思っていた、客観的な「私」が見たえーちゃんの印象が、炭酸の泡のようにぽつぽつと浮かび上がってきた。波と泡が冷たいマグマのようにぐらぐらと沸き立っている。そう思っている私をさらに客観的に見ながら、私はえーちゃんを尊敬していたのではなかったか? と思った。しかし、答えはすぐにわかる。私が尊敬していたのはたぶん初めから彼で、私はそんな彼と付き合っていたえーちゃんを勝手に尊敬していたように思っていただけだった。単純で、醜い構図。都合よい登場人物の配置は、ポジティブを装う。そして彼への尊敬もなくなった今、付属品だったえーちゃんを尊敬する材料が見当たらなかった。それか、私は彼と付き合ったことで、えーちゃんより上に立った気になったことが原因なのかもしれない。どちらにせよ、尊敬の所在は、気付く前にしか気付けない。今存在していないものがどこにあったかを考え直そうと思っても、それは難しすぎることだ。

今私の奥底に沸いている黒い泡も、鈍い音を立てて消えさり、何事もなかったようになることもわかっているし、すでに様々なことが思い出せないくらいに消えかかっているからこそ、全てをこんなに曖昧に綴ってしまうことも知っている。それでも、まだ考えが及ぶうちに、こんな醜い考えや、輝いたりくすんでいたあのスクリーンセーバーのような日々そのものが妙にいとおしかったことも、すべてを、少しだけ覚えていたいという我儘があるのだった。テレビのグルメ番組で、網にかかった大量の魚を見て、あみこのことを思い出した。彼女がもっと無口であれば、一生誰かの網にかかることもなかったのかもしれない。

もっと書きます。