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自分でつくれる自己肯定感

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自己肯定感が低くてもなくても、自分でつくっていけるアイディアをこつこつと
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#居場所

どう思われるかに一所懸命で、どう思いたいかに無頓着

「見せることに一所懸命で、見られることに無頓着」 電車でお化粧をする人を評して友人が言った言葉です。 この言い回しが私はとても気に入っていて、というのも汎用性がとても高いからです。(以前も何かの例でブログなどに書いた記憶が…) 今回のテーマは、タイトルの通り「どう思われるかに一所懸命で、どう思いたいかに無頓着」です。 もう少し丁寧に書くなら「(自分の言動が相手に)どう思われるかに一所懸命で、(自分自身が相手を)どう思いたいかに無頓着」。 繊細だったり不安が強いが故に相手の

「居場所を見つける」の前提を覆す

「居場所がない」「居場所が見つからない」 みたいな言葉が市民権を得て、それに対応するように、どうやったら居場所が見つかるかの方法論のようなものも増えたと思う。 今日ふと、そういうタイトルの本を見かけて思った。 こういった本や考え、アドバイス?のようなものは、ひょっとして、私やあなたに合った「居場所」は事前にこの世に存在して、何かしらの方法で提供される、という前提に立ってるのではないかしら?と。 全部を読んだり調べたりしたわけではないけれど、「居場所はあるよ。大丈夫だよ」と

「居場所」は、ない。けど、ある。

「居場所」いう言葉を見ると、ちょっとだけ心がザワっとする。 ずっと、私にはなかった。という過去の私の思いが、舞い戻ってくるから。 「なかった」というのにも語弊があるかな。 今も「ある」とは思っていないし、昔も文字通りの「居場所」というものは、あった。 家族は平和だったし、クラスでいじめにあったわけでもなく、 生徒会やクラブにも所属してたし、習い事もしてた。 オンラインにもオフラインにもお友達はいたし、不満はなかったと思う。 楽しかったと思う。 物理的にどこにも所属していない