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自分でつくれる自己肯定感

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自己肯定感が低くてもなくても、自分でつくっていけるアイディアをこつこつと
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2019年2月の記事一覧

私にやさしいのは「分かってくれる人」じゃない

「私のことを分かってくれる」人は、実は私に優しくないかもしれない と言ったら、どんな風に思うでしょうか。 思春期以降、「私のことを分かってくれる人」のことが大好きでした。 あまり自分の本質を表に出さずに日々を過ごしていたので、 親さえも誤解している「私」のことを「正しく」見てくれる人は本当に素敵に見えていました。 実際、その人たちは本当に優しくて賢くて気持ちをくみ取ってくれる。 悪い人では、もちろんありません。 だけど、その人たちにともすると依存しそうになる私を見つめ直し

門をひらいて、あなたをまってる

前回、自己肯定感は「感」を求めるんじゃなくて変化の結果だって話を書いて その後ふと気付いたことがあるんです。 私は、思春期から抱えてきた生きづらさや、いじめにあった時の苦しさから 絶対に今の自分から「変わりたい!」(どうやったら変わるかわからんけど)と強く強く思って、 試行錯誤して考えて泣きまくった結果 「自己肯定感って自分の変化の結果じゃん!」 「てことは誰だって自分でつくれるんじゃん!」て気付いて その気付きの中でのアイディアをシェアしようってしてきました。 そして、

自己肯定感は「感」が目的じゃないから、私はここにヒントを書き続けたい

私が「自己肯定感」は自分で作れる(むしろ誰かに与えられるものじゃない)をテーマにして #note を書くのはなぜか という話を今日は書きたいと思います。 そしてそれは、そもそも「自己肯定感」ってどういうものだっけ?と もう一度立ち止まって、見つめ直すことでもあると思うんです。 そもそも自己肯定感って、結果的に生まれてくるもので、目的ではないですよね。 どういう経緯で「感」という字を当てたかは分からないのですが 英語で「self-esteem」(自尊心)であった言葉を「自己肯