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多幸感と死出の旅

雨宮まみさんという作家がいる。
正確には、「いた」。
今から7年前、2016年に彼女は亡くなった。

私が彼女を初めて知ったのは24、5歳の時。
大学院に入って、修士号を取得した頃だった。段々と「研究」の世界に触れていく中で「社会」にも触れ始め、学生の頃とは違う壁に触れることも増えた。(私の入った「社会」がまた変な世界だったこともあるけれど。)

女子をこじらせて」で「こじらせ女子」なるワードを生み出した彼女の文章は私の心にスッと入ってきた。
それまでとは違う種類の「生きづらさ」や「やりにくさ」に触れて戸惑っていると、私より10歳年上の彼女がそのことで憤ってくれている。そうして初めて私は、それが「怒っていいこと」なのだと知る。そんな感覚だった。

「かぐや姫の物語」を語ったブログの筆致も素晴らしい。私はこの文章を読んで、かぐや姫の物語を見にいけなくなった。自分が映画館で号泣するだろうことがわかったから。何年も経って、初めて映像を見た時、予想通り私は嗚咽と共に泣き崩れた。(その後何度見ても泣き崩れるので、大好きだけどあまり見られない作品である。)

彼女の書く文章は、どんどん変わっていった。
「こじらせ女子」がいつの間にか揶揄の言葉になってしまったことを嫌い、徐々にそのような文章は減っていった。

東京を生きる」では地方出身者の気持ちを書いた。こちらは関東の中途半端な田舎出身の私には厳密にはよくわからないことも多かったけど。

そしてどんどんと、彼女は美しくなっていった。
彼女が「本当は着たかった」華やかな衣装に身を包むようになったことを私はとても嬉しく思ったし、そしてそれが本当に似合っていた。

並行して、彼女の文章はますます「優しさ」を増していった。
最後に連載されていたお悩み相談では、救いのない悩みでさえも優しく掬い取り、決して相談者を追い詰めるようなことは言わなかった。
この頃にはもはや、まみさんは菩薩のようだった。

一方で、時折書くエッセイでは彼女の「弱さ」が垣間見えることもあった。結構な酒量を飲まれていることが垣間見えた。とっても楽しそうであったけど、買い物の量も中々の勢いがあった。移住の話もちらほら出てきて、きっと何か悩んでいるんだろうな、でもその悩みをきっとまた美しい作品に昇華して見せてくれるんだろうな、と思っていた。10年後の私も同じようなことで悩んでいるのかな、なんてことも思っていた。

そして2016年11月に、彼女は亡くなった。
そのことを知った時、私は人生で初めて、「知らない人」の死で大泣きした。ちょうど自分の誕生日の1週間前だった。


いつからか、すごく幸せな時に「死」を感じることが増えた。
音楽を聴いている時。
山に登っている時。
いい天気の中で川沿いを歩いている時。

最高に気持ち良いな、と感じると同時に、「このまま死にたい」感情が湧き起こる。それは決して暗い感情ではなくて、ただただ真っ白な感情である。

私はそういう瞬間が好きだ。
生きている、と感じる。と同時に強烈に死を感じる。
多幸感の中で、生死を彷徨っているような感覚。

父と犬が死に近づいている今も、私の感情は必ずしも悲しみにのみ支配されているわけではない。死を感じると同時に、湧き上がる「生きている」実感。

そう考えると、あちらもこちらも、それほど隔たれてはいないのかもしれない。それとも、現在の私の立ち位置がフラフラしているだけなのだろうか。なんとなく、亡くなる直前の、ものすごく美しくて、ものすごく楽しそうなまみさんの様子を思い出す。

今でも時折、彼女のInstagramを覗くことがある。
笑顔で戦利品のワンピースやら鞄やらを掲げている彼女は、今も、いつまでも美しい。

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