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ポストモダンに馴染めない

幼い頃から、向上心の強い子供だった。
昨日より今日、今日より明日が良い日になると、信じて疑わなかった。もっと正確に言うと、そうである「べき」だと思っていた。

勉強にしても、習い事にしても。
頑張れば頑張るだけ前進するのだと思っていた私にとって、常に「目標」は遠い未来に存在するものだった。

若いうちに活躍する人を見ても全く何とも思わなかった。
憧れるどころか、むしろ可哀想にすら思った。
この人たちはこの先どうするのだろう、と。(今から思うと余計なお世話だが。)

いつしかその気持ちは若いうちに活躍することへの恐怖となっていった。
20代のうちにいくら稼ぎたい、有名になりたい、と言っている友人の気持ちは全くわからず、とにかく修行の日々なのだと思ってきた。
結局、その通りの20代を過ごしたように思う。
仕事面でも、プライベートでも、それなりに事件が起きた。

30代も後半に差し掛かり、いよいよ来年には本格的なアラフォーとなる今、そろそろ外に出てもいいんじゃないの、と私の中のもう一人の私が囁く。


今年の1月は、私にしては珍しく一年の目標をたてた。
守れたものもあれば、守れなかったものもある。
noteを毎週あげる、という約束も途中から脱落してしまった。

年末に怒涛の毎日更新で追いつこうかと思ったのだが、そうすると書きたいことを薄めるだけのような気がして結局諦めた。

今年は本当に怒涛の一年だった。
一月に大失恋し、二月には引越し準備を開始した。
三月に引越し、突然の異動も決定した。
四月は新しい部署への異動と犬の手術があった。
五月がおそらく一番安定していて、六月には犬が意識を失った。(その後回復)

七月には父が倒れて入院、犬が要介護状態に。
八月もその状態が続き、九月に犬が、そして十月に父が亡くなった。
(この間に人生初めてのコロナにもかかった、九月。)

十一月は後処理に追われ、記憶喪失。
十二月に入ってようやく少し落ち着いた…と思ったら再び元の部署への異動を命じられた。

とにかく次々起こる出来事に必死で対応してきた、という感覚。
一方で、今年一月の自分を思い出すと遠い過去のことのように思うから、おそらく私はそれなりに前進してきたのだと思う。

いいことも悪いことも、きっと私の肥やしになっているはず。
こうしてまた自分のモダニズム思考を強化する。
そうでなければ、やってられない。
ポストモダンに生きられる人は、きっと心が強いのだと思う。


どんなに嫌なことがあっても、辛いことがあっても。
私は明日に希望を持ち続ける。
今日より明日、明日より明後日、きっともっとできることが増えているはず。
世界は少しずつ良い場所になるはず。

2024年がどんな一年になるか、楽しみだ。

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