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縁とはとても不思議なもので、
知らぬ間に結ばれ、知らぬ間に切られてしまっていたりする。
それがどうしても切りたくない縁だとしても。
望むと望まざるに関係なく。
それはきっと人に心があるからで、自分や自分以外の人々が一瞬一瞬を選び取って進んで行っているからなのだと思う。
その一瞬一瞬の選択で、縁を切られたり結ばれたりするのだ。
私はxxxHOLiCが好きだけれど、その中でも「全ては人の願い故」という台詞がある。
自分が、誰が、一生のうちに何を選び何を選ばないのか。それは人それぞれであり、それはやっぱり"人の願い故"なのだと思う。
私は今まで切れてしまった縁はそういうタイミングであり、結び直そうとは思ったりしなかった。
そもそも縁が切れたのは私のせいだと思っているから。
きっと私に至らないところが多々あったのだろう。考えてみると確かにその節はある。
でも同時に私はそれを意識さえしてこなかったし、私も私でその縁を知らぬ間に自ら切ってしまっていた。
三十も目前になって、最近やたらと葬式に出る機会も多くて、ふと縁について考えることが増えたような気がする。
話をぶっ飛ばすと、もし私が死んだとして今どれだけの人が私との縁を想って思い出してくれるのだろうかということ。
正直あんまりいないのだと思う。
でも思い出してくれる人がいたら、心の中であいつどんな奴だったっけって全然思い出せない中で適当な人物像をでっち上げてくれればいいなと思う。
とりあえずもし死んだら来世はどこかの家の庭でその家主にそっと愛でられ愛される植物とか木にでもなりたいと思う。
なんか縁の話をしながらだいぶ脇道に逸れたけど。
ただ今の私が思うのは大切にしたい縁にだいぶ気付けるようになったということ。
そしてそれを切れないように努力していきたいなということ。
「全ては人の願い故」なのだとしたら、それも叶えられるかもしれないと、ほんの少しだけ夢を見てあとは努力をしてみる。
自分の不器用さを知っているし、地雷女の自覚もあるけれど、努力はしていきたい。
人の願いはそれだけ強いものなのだと、信じてみたい。



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