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『引越し大名』にハッとした。

作業のかたわらに流す映画は時々BGMと化す。
でもそのなかに急にふとハッとさせられる台詞があったりする。
もちろん内容無視でその台詞にハッとするわけじゃない。

今回は映画『引越し大名』を観ていて、思ったのだ。
星野源さんが結婚されたから少し観てみようという好奇心があったことは認める。

物語の中に、
"待つ苦労があれば、待たせる苦労もあろう"
という台詞があるのだ。

引越しをするために役職のあったものを百姓として切り捨て?なければならなかった。
しかし主人公はまた役職を与えるために今は耐えて欲しいとうったえる。また迎えに行くからと。
そして何度目かの引越しの後にその約束は果たされる。
お互いにもう歳をとり、中には亡くなった人もいるという歳月の後に。
主人公は百姓にした元武士たちを迎えにいくのだ。
そして上記の台詞が主人公ではなく、切り捨てられた百姓の側から発せられる。
先の見えぬ中を待つ苦労というのは闇の中を歩き、年月と共に足元がずぶずぶと沼に囚われていくような感覚を覚えたりするのだろう。
いつまで生きていられるか分からない人生の時間の中で、迎えに行くからという言葉一つを頼りに"待つ"のは想像以上の辛さがあったのだと思う。
けれど同時に、約束を果たすために"待たせる"というのもとても辛いのだなと感じた。
これも待つのと同じでいつ引越し同じだけの権力を持てる日が来るのか分からない日々だ。
そんな中で約束と共に現状の手紙を主人公が毎回百姓になった者たちへとしたためている描写で、きっと"待つ"側は約束と手紙にどれだけ救われただろうかと思い、また"待たせる"側もどれだけ心苦しかっただろうかと感じた。
コメディタッチの要素が多い作品だったのに、最後亡くなった者たちの石碑、百姓として現地に残った者たちの刀、そして約束通り戻ってきた者たち。全てが揃った瞬間はあぁ……と心の中でほっとしていた。

"待つ苦労があれば、待たせる苦労もあろう"

苦労という言葉はあまり好きではないけれど、
約束のためにどちらか一方だけが苦しんでいるのではないのだと、きっとどんな場面においても言えることなのだろうと。
ふとそんなことを思った。

星野源さんの演技はナチュラルだったなー
で、本命の高橋一生さんはまた声が良い。演技の振り幅が意外と大きい方なんだなと改めて思った。

そんな創作BGM裏話。



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