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『都市伝説、徹底考察』「ひとりかくれんぼ」の真相を暴く!!④ 問題点 前編

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ここからが本題!

さて、いよいよ真相に迫っていきます。真実はいつも1つか2つ!
実は「ひとりかくれんぼ」は、儀式としてはかなり質が悪いもので多くの欠陥があります。今回はどういった欠陥があるのか、解説していきます。
 前回の考察で仮説を立てた通り、ひとりかくれんぼは「陰陽五行思想」と「ケガレ」の思想に影響を受けている理論的な共感呪術」(降霊術なのか、誰かに呪いを掛けるものなのかは不明)という前提で考えていきます。


1、ぬいぐるみの欠陥

 ひとりかくれんぼの大きな特徴の1つとして「ぬいぐるみの作り方」があります。ひとりかくれんぼを考察する上ではこのぬいぐるみの役割というのは、重要になってきます。
 まずはひとりかくれんぼのぬいぐるみについて製作手順を軽くおさらいしていきます。

・ぬいぐるみの綿を全て抜き、米を詰める
・自分の体の一部(爪など)を入れて赤い糸で縫う
・縫い終わったらそのまま糸をぬいぐるみに巻付け、ある程度巻いたらくくる
・ぬいぐるみに自分以外の名前を付ける

 次にそれぞれの通説におけるぬいぐるみの役割について抜き出していきます。

・降霊術説
 ぬいぐるみは幽霊の依り代であり、米は肉の代わりで、ぬいぐるみに米を詰める、自身の体の一部を入れる、名前をつけると言った行為は「ぬいぐるみを人間に近づける」という意味がある。

・太郎丸氏説
 米は魔を払う呪物であり、神仏に捧げる為の供物でもある。ぬいぐるみに米を詰めるという行為は、ぬいぐるみを幽霊に対する供物にするという意味がある。
爪を入れるのは、供物を捧げた術者が誰か分かる様にするため。

・呪詛説
 手足のあるぬいぐるみを使うのは「類似の法則」に基づくもので人体の代わりであり、術者の爪を切ってぬいぐるみの中に入れるのは「感染の法則」に基づき、ぬいぐるみを術者の見立てとするためである。
 米は内臓の代わりで、名前を付けるのは個を与えるという意味がある。

 以上がぬいぐるみに関する情報です。では作り方とそれぞれの通説におけるぬいぐるみの役割を比較して、欠陥について解説していきます。

・「個性」の混在

 まず1番の問題点として「ぬいぐるみの中に自分の体の一部を入れる」のと「ぬいぐるみに自分以外の名前を付ける」という2つの行為の矛盾があります。
 呪詛説解説の中で説明した感染呪術から見れば、自分の体の一部を入れるという事はぬいぐるみを自身の分身とするという意味があるはずです。しかし、ひとりかくれんぼでは何故か自分自身の分身に対して、自分以外の名前を付けています。
 
 当たり前ですが「名前を付ける」という行為は、宗教や呪術において重要な意味を持ちます。身近な例では姓名判断とか有りますね。日本では諱という考え方があったり、西洋では悪魔祓いをするのに悪魔の名前を知らないといけなかったり、神様の名前自体に加護の力があったりと。
 呪術と名前を結び付ける話として「西遊記」が分かりやすいと思います。金角・銀角の持つ紫金紅葫蘆には「名前を呼んで返事をした者を吸い込む」という力があり、孫悟空は名前を呼ばれて返事をしたために吸い込まれてしまう、という場面があります。
 このように名前には「ある対象を示す、関連付ける」という力があり、名前を付けるという行為は「他とは違う特定のモノという個性を与える」という意味合いがあると言えると思います。

 ひとりかくれんぼでは儀式の最初にぬいぐるみに自分以外の名前を付けますがこれを説明すると、自分の体の一部を入れることで「自分自身の分身である」という個性を持たせたぬいぐるみに対して、自分以外の名前を付ける事により「自分とは別の存在である」という個性を持たせようとしていることになります。

 もし呪詛説の主張のように自分の見立てするのであれば「術者以外の者である」という個性が邪魔をするため自分の名前を付けるべきであり、降霊術のように霊の依り代とするのであれば「術者自身の分身である」という個性が邪魔になるため、ぬいぐるみの中に術者の体の一部を入れるべきでは無いし、特定の名前を付けることも控えるべきで「オニ」などと言った不特定多数を示す名前を付けるべきだと思います。
 また共通点の多い「丑の刻参り」においても、見立てを作る場合は呪いをかける対象の体の一部と名前を使っており、「名前」と「体の一部」が示す対象は同一のものとなっています。
簡単に図で説明すると、このような感じになります。

個性の混在

・米の役割とは?

 呪詛説、降霊術説では「肉の代わり」ということになっています。明確な元ネタかは分かりませんが、日蓮宗の『王日殿御返事』の中に

此の一字変じて月となる、月変じて仏となる、稲は変じて苗(なえ)となる、苗は変じて草となる、草変じて米となる、米変じて人となる・人変じて仏となる、女人変じて妙の一字となる、妙の一字変じて台上の釈迦仏となるべし。

という一節があり、米が主食の日本においては「米は人の体を構成する上では重要な食べ物」という考え方があったという主張で「米を肉の代わりとする」解釈については問題が無いように思えます。

 しかし、使用する米に大きな問題があります。それは「宗教的儀式においては通常、洗米又は新米を使う」という原則に反しているということです。通常の宗教的な儀式であればお祓いや供物としては洗米という一度洗って乾かした米か新米を用いるのが普通です。
 これはいわゆる「穢れ」の考え方から来ており、日本の儀式や呪術における根本的な原則からすれば洗米で無ければ「米の持つ呪術的な力」という物は十分に発揮出来ないということになります。
 後で詳しく説明しますが、この洗米を含めてひとりかくれんぼ全体を通して、特にこの「穢れ」についてかなり疎かにしている傾向が見られます。

・糸を巻きつけることの意味

 ぬいぐるみに米を詰めた後に縫うだけでは無く、糸を巻きつけるという指示があるのも、ひとりかくれんぼの特徴なのですが、これがまた問題です。糸を巻くということは、結界を張るという意味になってしまうからです。
 
最も身近な例として、注連縄があります。注連縄の起源は日本神話の尻久米縄と言われていますが、縄は「神界と現世を区切る境界線」を意味します。また注連縄の「注連」は中国では「死者が現世に来ないよう、死者の出た家の門に張る縄」のことを言い「縄を張り巡らせる事は空間を仕切る事により結界を張る」という意味があると言うことが分かります。

 更に注目するのは「糸の色」です。赤色は陰陽五行思想の五主においては「血管」という意味を持ちますが、それと同時に「太陽(お日様の事ではなくて、とても強い陽みたいな意味)」の位置し、幽霊が属する水の位置である「太陰」と真逆の意味を持ちます。
 日本の神社の鳥居が朱色だったり社殿に赤色が使われたりしているのも、朱色には魔除けの効果があるためとされています。もし血管としての役割を与えるのであれば、ぬいぐるみの体内に入れたり魔除けの効果が発揮できないよう、目立たないようにぬいぐるみの中に入れるなど、処置をするべきだと思います。

 結界を張るためには清められた縄や魔除けの効果があるものを用い、赤い色には魔除けの力があります。ひとりかくれんぼでは魔除けの力を持つ赤い糸を巻きつける事により、ぬいぐるみに結界を張ってしまっていると解釈できるのでは無いでしょうか。

糸を巻き付けると

さて、以上がぬいぐるみに関する問題点で、まとめます。

1、「術者の体の一部を入れる」と「術者以外の名前を付ける」という行為によって、「術者の分身」と「術者以外の存在」という個性が混在していて、ぬいぐるみの役割がハッキリしていない。

2、洗米を用いておらず、十分に米の力を発揮出来ていない。

3、赤い糸をぬいぐるみに巻き付けてしまう事により、ぬいぐるみに魔除けの結界を張ってしまっている。

 この様にそれぞれの意味を考えると、かなり矛盾した行為を行なっているように感じます。


2、儀式に使う道具や場所の欠陥

 ぬいぐるみ以外にも多くの道具を用いますが、これについても欠陥があります。

・塩水は攻撃手段

 ひとりかくれんぼにおいて、塩水は術者を守るための大切なアイテムとされています。前回の考察でもチラッと書きましたが、塩が幽霊に効くというのは「ケガレ」の発想から来ているもので、イザナギノミコトが黄泉の穢れを海水で洗い流したことに由来します。
 幽霊は勿論、黄泉の国の住人で「ケガレ」その物みたいなものですから、そのケガレを塩水で洗い流そうってことですね。イメージとしては「水をぶっかけて泥汚れを洗い流す」感じですね。これから考えれば、塩水を対幽霊用の道具として用いることは問題無いと思います。

 問題なのは「隠れる場所に塩水を用意しておく」と言った御守りとしての運用です。何故、塩水の御守りとしての運用が問題かというと、盛り塩という確立された手段が別に存在するからです。盛り塩が可能であるにもかかわらず、あまり御守りとしての運用を聞かない塩水を隠れ場所と自分の御守りにしているのは不可解です。

 また悪いのが、御守りに使った塩水を最後にぬいぐるみに対して使用しているのもあまり良くありません。というのも原則として一度「ケガレ」に影響された物は効力が弱くなるからです。
 御守りとして使用された塩水は「ケガレ」に影響を受けてしまっているため、十分な効果を発揮出来ない恐れがあります。ひとりかくれんぼの場合は、「終了時にぬいぐるみに使う塩水」と「隠れ場所を守るための盛り塩」の2つを用意することが適当ではないかと思います。


・風呂桶に溜めた水は逆効果の可能性

 みんな口を揃えて「溜まった水は不浄だ」とか「流れのない水はケガレが溜まるからダメだ」とか言いますが、これは厳密には正しくありません
 実際に「ケガレ」の状態にある水というのは宿水と言い、水が汲まれてから一晩経った水のことをいいます。

ね‐みず ‥みづ【寝水・宿水】
〘名〙 前の日に汲んでおいた水。宵越しの水。

引用:『コトバンク 精選版 日本国語大辞典』

 蛇口から溜めたばかりの水は『ケガレ』の状態にあるとは言えず、むしろ『ケガレ』を洗い流す効果があるとも考えられます。これは禊に通じるもので本来は流水でやるべきですが、物を洗うという事であれば一度桶などに汲んで使うのが普通です。洗濯なんかはイメージしやすかなと。
 
 ただ『ケガレ』の観点からでは不適当とは思いますが、陰陽五行思想の観点からでは問題はないかもしれません。陰陽五行思想においては幽霊は水行に属するので、水と幽霊の親和性が高いとされているので。


・鬼門の利用について

 前回で、ひとりかくれんぼにおける「午前3時から2時間」という時間指定は、陰陽五行思想からくる鬼門に由来するものだろうと考えました。時間ばかり注目されますが、鬼門はそもそも方位であるという事を忘れてはいけません。
 鬼門は陰陽道では鬼の訪れる方向として忌み嫌われて来ました。しかし、鬼門そのもの起源は中国の戦国時代から漢の時代にかけて成立した『山海経』とされる説もあり、これについては陰陽五行思想というよりは中国の神話と関連が深いです。

東海の度索山という地に、大なる桃の三千里に渡って曲がりくねる樹があり、その低い枝が東北に向かうを鬼門という。この所(鬼門)は諸々の鬼の出入りする所で、神荼・鬱塁という二神がいて、悪鬼を捉えて虎の餌にする。

引用:村上瑞祥『鬼門との正しい付き合い方、日本人が恐る鬼の正体とは』2017年4月2日

 中国でいう鬼とは幽霊のことを指すため、上の文を平たく言えば「北東に鬼門っていう死者が出入りする門があって、2人の神様が門番してるよ」といった感じになります。
  ここでひとりかくれんぼに戻ってみると、隠れ場所や幽霊が出入りする場所に当たる方位としての鬼門については一切言及がありません。
 もし鬼門の方向に隠れてしまっては幽霊に対して見つけてくれと言わんばかりの行動で、術者に危害が及ぶ恐れがありますし、幽霊の出入り口である鬼門の方角に門となるものがなかったり、扉が閉まっていては効率が悪くなることも考えらるます。
 鬼門の方角に門を設けること自体は、別に難しくもなんともありません。浴室内の北東に鏡を置くとか、鳥居や門という漢字など入り口となる物を紙に書いて貼り付けるだけでも十分です。簡単に出来るにも関わらず、こういった処置がないのはかなり大きな欠陥と言えるのではないでしょうか。


以上が道具や場所に関する欠陥です。まとめると

・塩水を隠れ場所の御守りとして運用するのは心許ないのではないか?
また御守りとして利用した塩水を最後にお祓いするのに用いるのは、効力が弱まり力を発揮できないのではないか?

・宿水(寝水)を使わないで、ただ溜めた水では「ケガレ」の観点から考えると不適当である。

・鬼門の方角について適切な処置が無く、術者の安全や呪術の完成度に大きく損なわれている可能性がある。

という感じです。

やったら長くなったので、一回区切ります。後編では、儀式の流れについて触れていきます。

それでは最後まで読んでいただきありがとうございました。


※参考文献


コトバンク 精選版 日本国語大辞典
https://kotobank.jp/dictionary/nikkokuseisen/

村上瑞祥『鬼門との正しい付き合い方、日本人が恐る鬼の正体とは』
https://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00488/

2ch(現5ch)『【降霊】検証実況スレ本館【交霊】part1〜37』2007年〜2010年

ジョージ・フレーザー 著、内田正一郎・吉岡晶子 訳『図説金枝篇』1994年,東京書籍

宮島鏡 著、鬼頭玲 監修『呪い方、教えます。』2001年,作品社

豊島泰国 著『図説 日本呪術全書』1998年,原書房

加門七海 著『お咒い日和 その解説と実際』2017年,KADOKAWA

・お借りしたイラスト
 いらすとや

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