見出し画像

好きだけど よく知らない コロー ってどんな画家?オマケ画像つきでシェアします

美術館に通ってると、いつの間にか好きになってることがあります。

インパクトはないけど、気になる。それがコローでした。

そんなコローがメインの展覧会が、SOMPO美術館で行われています。

ランス美術館コレクション
風景画のはじまり コローから印象派へ
2021.06.25(金)- 09.12(日)



コローの、うまく言えないけど、フワフワっとした絵が、まとまって観られてよかったです。

好きなのに、コローよく知りません。


図録、買えばよかったーと思いながら、図書館へ。数少ないコロー本を、発掘してきました。

画像4


ヴィヴァン 
新装版 25人の画家 
第3巻 
コロー 1996年発行

コローが過ごしたフランスの美しい森の写真や、友人に書いた手紙文もあって、どんな人だったのか少しわかった気がします。


カミーユ・コロー(1796 - 1875)は、19世紀のフランスの画家。

画像1


「風景画」というジャンルを確立したひとりです。

父親は毛織物業で成功、母親も帽子店を営み、上流階級の女性のお客様が多かったようです。

父親はコローに家業を継いで欲しかったのに、絵ばっかり描いて、商売にちっとも身が入らないので、仕方なく画家になるのを認めたとか。

どうしようもないヤツ感がありますが、家を飛び出したりせず、父が勧めた会社で見習いをして、ちょっとはがんばったようですが…

それが、コロー26歳ごろ。

時代は新古典主義。美化された「歴史風景画」を描くことがいいとされていました。

コローも、それを目指してがんばります。さらに腕を磨きたいと、3年ほどイタリアへ。古代遺跡に富む風景を夢中で描きました。

そんなコローが認められるのは、50歳ごろから。

遅くない?って思ったけど、サロンへの出品を続けたり、教会のために制作したり、コツコツ活動しています。

旅行と演劇を観るのも大好き。それが詩情豊かな風景を描くことに、つながったのかもしれません。

今風に言うなら、バズったのが、59歳。ドラクロアやアングルを制して、万国博覧会でグランプリを受賞。人気が最高潮になります。

コローの柔らかな光に包まれた風景画は、「 銀灰色 ぎんかいしょく」と呼ばれ、「コロー色の布地」まで売り出されたとか。

どんな感じだったんでしょう、ミュージアムショップで売ってほしい。

風景画のイメージが強いコローですが、人物画もいい。

画像2


ルーブル所蔵の『真珠の女』1868-70年ごろ

2008年に来日してます。

彼の代表作のひとつで、女性をモナリザのようなポーズで描いています。


こんな魅力的な女性を描くコローですが、生涯独身でした。


友人のアベル・オズモンに宛てた手紙です。

私はA嬢がとても好きだった。今でも気に入っている。しかし、私が人生において粘り強く追い求めようとする目的は一つしかない。風景画を描くことだ…

コロー30歳ごろです。

A嬢は母親の帽子店で働いていた女性で、ほかの人と結婚してしまいます。

恋にうつつをぬかしてる場合じゃないと、自分を律しているようですが、ちょっと負け惜しみもあったりして。

コローは優しい性格だったと言われていて、実は押しが足りなかったのかもしれません。
 

優しいと言えば、ドーミエや、ミレーの未亡人、普仏戦争で苦しむ人たちを援助しています。


そんなコローの作品は、日本にもあります。


例えば、国立西洋美術館。

画像3

『ナポリの浜の思い出』 1870-72年ごろ


アーティゾン美術館のコレクションもいいです。


オマケ画像は、大河ドラマ「青天を衝け」ツイッターから。

渋沢栄一が徳川昭武のお供で、フランスを訪れたシーンです。実は、ロケ地は日本。


群馬県渋川市にある、赤城自然園です。

コロー絵画の実写版って感じ。
行ってみたいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?