エピグラフ
良き同志へ捧げる。
“新しい石板が新しい時代の令状となる
老人どもには遺産を楽しませておけばいい
遠雷は彼らの耳には届かない。
だがあなたは、若者どもを奴隷と呼ぶだろう
いま、感傷的な音楽に耽溺する彼ら
薔薇の鎖に繋がれて深淵を避ける彼らを。
あなたはデカダンと腐敗に唾を吐き
月桂冠に匕首を隠し
新しい十字軍の歩みと響きに合わせて行くだろう。”
シュテファン・ゲオルゲ 1913年
※1
序
我々は、革命ではなく、革命の中に眠っている、革命が自分自身でも理解していないような思想をこそ掲げたい。我々は革命思想を、永遠に自らを構築し直し続ける保守思想と結び付け、保守革命思想となし、ある一つの組み合わせ──その下でならば、生に再び希望を抱けるような組み合わせを、実現したい。
『ナショナル・ボルシェヴィスト宣言』を読むにあたり、[以下に引用する]メラー・ファン・デン・ブルック [1876-1925]のシンプルな一節が参考になるだろう。『ナショナル・ボルシェビスト宣言』はどんな「イズム」への反論でもない。アカデミックな仕事でもない。ひとえに、どんな犠牲も厭わない若者たちの赴く、自己理解という名の数々の前線、その明確な差異である。そしてそれらを超えて──
“自由ドイツ!
たとえ昨日への決別が
その代償であろうとも
我々はあの汚れた一言を手に取る
「ナショナル・ボルシェヴィキ!」”
カール・オットー・ペーテル
1933年1月30日、かの「歴史的松明行進」の日に
※2
※ ※ ※
”ドイツ国家、ドイツ政府、ドイツ国民の代表は存在しない。存在するのは、ヴェルサイユ条約の結果生じた一つの植民地だけだ。我々はその植民地の原住民だ。これが、未来を考える前に精神的に和睦しなければならない、残酷で容赦ない真実である。”
『フォアヴェルツ[前進]』1919年5月号より
※3
(→ナショナル・ボルシェビスト宣言【3】に続く)