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【試訳】K.O.ペーテル『ナショナル・ボルシェヴィスト宣言』【2】エピグラフ/序

左右共闘運動〈ナショナル・ボルシェヴィズム〉のワイマール期ドイツにおける言論人、カール・オットー・ペーテル[1906-1975] “Das Nationalbolschewistische Manifest” (Karl Otto Paetel, 1933, Die Sozialist Nation)の英語訳からの重訳。BOGMILという人物によりARPLAN-LEFT MEETS RIGHT, EAST MEETS WEST に英訳と解説が掲載されており、基本的にこれを底本とした。東野大地氏の校正を受けた。

判例: ■ペーテル章末註、▶︎BOGMIL章末註、(全角かっこ)BOGMIL本文内註、※山本章末註、[]山本本文内註、〈〉特殊な固有名詞、{}ドイツ語原文

エピグラフ

良き同志へ捧げる。

  “新しい石板が新しい時代の令状となる
  老人どもには遺産を楽しませておけばいい
  遠雷は彼らの耳には届かない。
  だがあなたは、若者どもを奴隷と呼ぶだろう
  いま、感傷的な音楽に耽溺する彼ら
  薔薇の鎖に繋がれて深淵を避ける彼らを。
  あなたはデカダンと腐敗に唾を吐き
  月桂冠に匕首を隠し
  新しい十字軍の歩みと響きに合わせて行くだろう。”

                      シュテファン・ゲオルゲ 1913年
                                 ※1

我々は、革命ではなく、革命の中に眠っている、革命が自分自身でも理解していないような思想をこそ掲げたい。我々は革命思想を、永遠に自らを構築し直し続ける保守思想と結び付け、保守革命思想となし、ある一つの組み合わせ──その下でならば、生に再び希望を抱けるような組み合わせを、実現したい。

『ナショナル・ボルシェヴィスト宣言』を読むにあたり、[以下に引用する]メラー・ファン・デン・ブルック [1876-1925]のシンプルな一節が参考になるだろう。『ナショナル・ボルシェビスト宣言』はどんな「イズム」への反論でもない。アカデミックな仕事でもない。ひとえに、どんな犠牲も厭わない若者たちの赴く、自己理解という名の数々の前線、その明確な差異である。そしてそれらを超えて──

  “自由ドイツ!
  たとえ昨日への決別が
  その代償であろうとも
  我々はあの汚れた一言を手に取る
  「ナショナル・ボルシェヴィキ!」”

                     カール・オットー・ペーテル
            1933年1月30日、かの「歴史的松明行進」の日に
                                 
※2

             ※  ※  ※

  ”ドイツ国家、ドイツ政府、ドイツ国民の代表は存在しない。存在するのは、ヴェルサイユ条約の結果生じた一つの植民地だけだ。我々はその植民地の原住民だ。これが、未来を考える前に精神的に和睦しなければならない、残酷で容赦ない真実である。”
 
                 『フォアヴェルツ[前進]』1919年5月号より
                                                                                                                                   ※3

※ 山本註
1. エピグラフのゲオルゲ詩とその引用元のニーチェについて
エピグラフ「新しい石板が〜」は、『宣言』刊行時は存命していたシュテファン・ゲオルゲ[1963-1933] の詩集『盟約の星Der Stern des Bundes』[1913] より「第三の書Drittes Buch」第二部冒頭とみられる(邦訳タイトルは『ゲオルゲ全詩集』(郁文館, 1994) 富岡近雄訳による)。
富岡氏によれば、『盟約の星』は1913年にごく小部数が友人に配られ、翌年、一般に刊行された。「新しい生」を説くとされる。
この詩集以降、一次大戦期とワイマール期に書いた詩を含む詩集は1928年『新しい国』として出版された。ただし「新しい国」とは精神の領域を指すとされ、特定の国家を指すものではないとされる。
上記の拙訳は英語からの重訳ということもあり、参考に該当箇所の富岡訳を掲載する。

  “新しい板に新しい階級が書きつける、
  老人たちには既得の財宝を愉しませておくがよい
  遠い雷鳴は彼らの耳には届かない。
  しかし若者たちを君らは奴隷と呼ぶがよい
  きょう、甘い音楽に骨抜きにされて
  薔薇の鎖を頼りに奈落の上で戯れている彼らを。
  君らは腐ったものを口から吐き出すがよい
  月桂樹の花束に匕首を忍ばせておくがよい
  近づく戦いの足音と響きにふさわしく。”

             『ゲオルゲ全詩集』(郁文館, 1994) 富岡近雄訳

また、富岡氏によれば、「新しい板」は、更に遡ってニーチェ[1844-1900]『ツァラトゥストラ』[1883-1885] 第一部・第三部に登場する「石板」を引いているとされる。ニーチェの同箇所に登場する「橋」の概念は、ドレスデンで結成された芸術グループ〈橋Die Brücke〉[1905-1913] にも影響を与えている。該当箇所の氷上英廣訳を挙げる。

  “どの民族の頭上にも、善のかずかずを刻んだ石の板がかかげられている。見よ、それはその民族が克服してきたものの目録である。見よ、それはその民族の力への意志が発した声である。(略)
  千の目標が、従来あったわけだ。千の民族があったから。ただその千の頸を結びつけるくびきだけが、いまだにない。ひとつの目標がない。人類はまだ目標を持っていない。
  だが、どうだろう、わが兄弟よ、人類にまだ目標がないのなら──人類そのものもまだなりたっていないというものではなかろうか?”

  『ツァラトゥストラはこう言った(上)』(岩波文庫, 1967)氷上英廣訳

  “わたしは砕かれた古い石の板のほとりに坐り、また半ば書きかけの新しい石の板をかたわらにして、待っている。いつになったら、わたしの時はくるのか? (略)
  また人間は克服されなければいけない或るものだということ──人間は橋であって、目的ではないということ、(略)
  だから、おお、わが兄弟たちよ、新しい貴族が必要なのだ。すべての賎民とすべての暴力的な支配者に対抗し、新しい石の板に、新しく「高貴」ということばを書く貴族が。”
  
  『ツァラトゥストラはこう言った(下)』(岩波文庫, 1967)氷上英廣訳

2. 「かの歴史的松明行進」
『ナショナル・ボルシェヴィスト宣言』の刊行日は、ナチス政権が発足した日と被った(BOGMIL解説参照)。

3. 『フォアヴェルツ[前進]』
ドイツ社会民主党SPDの機関紙Der Vorwärtsと思われる(*8.11修正)

(→ナショナル・ボルシェビスト宣言【3】に続く)

ナショナル・ボルシェヴィスト宣言やっつけ試訳シリーズ
【1】英訳者BOGMILによる解説
【2】エピグラフ/ 序
【3】幻視
【4】使命
【5】〈ナショナル・ボルシェヴィズム〉の10年

〜このへんまで訳したがあとはどうなるかわからない〜

若いナショナリズム       
国民社会主義の再建? ※改革?
ファシストのミス
ナチスの歴史的エラー
ナショナリスト・コミュニズム
ナショナル・コミュニズムの貌
ドイツ共産党ではだめなのか?
戦争と平和
幸福か自由か?
「至高価値」としての国家
マルクス主義と国家の問い
農村一揆?
ドイツにおける農民の問い
連合国家か全体主義国家か? ※評議会国家か全体主義国家か?
社会主義
原理としてのプロシア
ナショナリストの要求としての階級闘争
ヴェルサイユ!
革命の外交政策    
新たな信念
国民の秩序 厳格な規律によって結ばれた国民の団体(*8.11修正)
待てる!

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