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「生まれ変わり」のお話

という話が今回のお話のスタートです。

色々な意見はあると思えど、、

生まれ変わりを否定することは大事だと思っています。宗教観とかの話はとても大事です。が、、、現時点で「生まれ変わりを強く肯定できる事実は無いことが間違いないと社会的にも認識されている」と思っているんですが、、、違うんですかね?

ちょっと脇道にそれます

実は私はFSMに入信していまして(笑)。
日本名「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」というヤツです。

ご存知の方もいるかと思いますが、いわゆるパロディー宗教というヤツです。

まあ、進化論と創造論(インテリジェント・デザイン論:ID論)のお話、、、
「科学と宗教」の教育のお話でして、、。
「進化論と同等に『神が世界を作った』という理論を学校教育で教えることが必要だ」という議論がアメリカの一部の州で起きたのです。
「何故なら進化論は『仮説の一つでしかない』からだ」「それならば、神が世界を作ったという証拠がいくつもあるので、それも同様に仮説として教えるべきだ」という意見が出ていたようです。

それに対してボビー・ヘンダーソンがこんな屁理屈をこねます。
以下wikipediaより引用です。

ヘンダーソンは自分のサイト "venganza.org" (スペイン語で復讐の意)において創造主である空飛ぶスパゲッティ・モンスターの概略を示して、明らかな証拠や、それに基づいて進化を説明できる十分な論理性・整合性があると論じ、創造論の一部として「空飛ぶスパゲッティ・モンスター」を進化論やID説と同様に公立高校で教えることを公開質問状において提案した。

「 私は国中の、そしていつかは世界中の科学の時間にこの3つの理論がどれも等しく教えられるのを楽しみにできると思います。3分の1はインテリジェントデザインのため3分の1はスパゲッティモンスター教のため3分の1は圧倒的な量の観察可能な証拠に基づく論理的推論のため

つまり、特定の宗教における創造論を教えるのであれば、私が今さっき作った宗教(観察不可能な証拠に基づく論理的推論によるもの)も同等に扱うべきだ、という形でできた宗教、、、が「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」です。

客観的事実の積み重ねが科学です

「誰が見ても、全ての人が、一様に受け止めることができること」を積み重ねることが科学です。
、、、と書くと理科だけだと思われがちですが、自然科学(理科系)も社会科学(文化系)も全て科学に含まれています。

客観的事実の積み重ねである科学知識を伝え教える場が学校教育である、と言えるわけです。

戻ります。

宗教的事実か理科的な事実か

という話であれば学校においては理科的な事実(客観的な事実の積み重ね)を使って話をして欲しいと思いますが、今回のツイートは「生まれ変わりを強く肯定できる事実は無い」→「強く否定できる事実も無いからいいんじゃない」的な部分ではなく「宗教観」として捉えてお話をされています。

「信仰を(先生が)否定している」という表現をされているわけです。
確かに、信仰の部分で言えばそれを教員が否定することは良くないと思いますし、全力で否定するのはどうだろう、、、とも思いました。

ただ最初読んだときになんとなく引っかかりがあったんです。
しばらく何が引っかかってるのかわからなかったんですが、、、。

「じゃあ、信仰の部分じゃなく理科の事実として児童(生徒)に伝えていたとしたら?」という部分。

例えば、「小学3年生の半分が生まれ変わりを信じている」のは理科教員だった私としてはびっくりで、、、。

私であればおそらく授業で「人は死んだら蘇らないし、おそらく輪廻転生しない」ということを伝えると思います、全力で。それは「厳然たる、客観的な事実の積み重ね」として「転生前の記憶を持っている人が全人口からすると限りなく少ない」ことや「その転生前の記憶を確認する方法が無い(=客観的な事実になりえない)」こと、また「転生前の記憶の話の大半がなんらかの文献に出てくる話がほとんどであること」(=本に書かれないような人々が転生したという話や動物や昆虫、植物、微生物であった記憶が何故か出てこない)など、、、どうしても理科教員としては「信じられないんだよねー」という笑い話にするしか無い、、、と思うんです。同時に「だからといって『生まれ変わり』を否定する事実もない」ことも伝えると思います、それもまた事実ですので。

もちろん、輪廻転生とか六道輪廻といった考えは私も持っていて、、、日本に生まれ育っていてると何故か身につくものだと思うんですよね「輪廻転生の概念」ってのは。父母祖父祖母になんとなく伝えられたもの、、、だと思っています。

自らの宗教的な信条(と政治的な信条)を伝える=教員は禁じられている

ご存知の通り、学校教員は政治と宗教は伝えることを禁じられています。
、、、今回のツイートの場合、「そうだね、人間は生まれ変わって次に、、、」とか話したら、場合によっては(おそらくは不問に付されると思いますが)宗教的な信条を伝えたとして何らかの処分がくだされる可能性があるわけで、、、。

今回の場合には、宗教的な信条を伝えず客観的な事実のみを伝えることだけができること、のハズです。そういった意味では「生まれ変わらない」という客観的な事実を伝えたのは教員ができることとしては最善だったのかもしれません。

ただ、、、伝えることは両方だったんじゃないかなー

伝えるべきは「全力で否定する」ことと「全力で肯定する」ことだったんだろうと思います(し、実はそうしていた、と思っています、希望的観測ですが)。

「生まれ変わりがあるかないか」判断するのは子ども(本人)であり、私やツイートした方でも無いわけです。ここに書いてあることは蛇足以外何者でもありません(笑)。
つまり、子どもが判断できる情報を与えること&判断する能力を身に着けさせることが大事だと思うんです。=「客観的な事実・主観的な事実をどう判断するかを教える」という話だと思うんですよね。

、、、15年以上前にアメリカの一部の州であった「ID論の話」の本質的な部分と同じな気がするのですが、気のせい、、、かなあ(笑)。

追記

大元の先生、児童と対話してくれているようです。
それで十分だと思いますm(_ _)m


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