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難病発覚までの経過2

難病発覚までの経過のつづきです。

経過1はこちらから↓


紹介状を持って
翌日大きな病院へ行きました。

大きな病院へ行くことは
自身の診察では初めてなので
不安と緊張といろんな思いで
向かいました。
その時の心境を思い出すと
今でも泣きそうになります。
腎臓内科で診察を待っている間
座るところがないくらいの人の数。
それなのに若者は私だけでした。
もちろんこの世に病気を抱えておられる
若い方たちはたくさんおられます。
でも、その時は私だけ...
なんだかポツンと。
なんでここにいるんだろう。と。
 

尿検査血液検査の結果
タンパク尿、血尿、変形赤血球までおりていて
腎炎を疑う所見がそろいました。
主治医はとても物腰が柔らかく丁寧な方で
パソコンにいっさい触れず
手を止めて目をしっかり見て
説明して下さったのが印象的でした。
説明の紙には糸球体の絵とともに
IgA腎症と手書きで書かれていました。
家族に同じ病気の人はいないか、
扁桃腺炎に何度かなったことはあったか
とも聞かれました。
24歳の時にひどい扁桃腺炎になり
一週間点滴に通っていた時もありました。
主治医は今発症したものなのか
その時から発症していたものなのかは
分からないと言われていました。

これから腎生検をしてみないと
確定診断はできない
グレードも分からないとのこと。
腎生検は侵襲を伴うリスクのある検査
でもあるためどうするかと
相談されました。

腎生検は
8月31日に決定しました。

それまでにも病院へ行き
経過を見ていきましたが
血尿は(1+)〜(3+)
タンパク尿は(−)〜(2+)という
経過でした。

診察の帰り道
IgA腎症の方のブログや
YouTube、ネットの情報を
未漁りました。

予後不良群だと数年で透析?
IgA腎症が発症してから
腎臓は20年の予後ならば
24の時に発症していたら
もうあと数年の予後なのか...
怖いことばかり考えて
一度だけですが
1人で車の中で大泣きしました。

IgA腎症の疑いと言われてから
私はめまぐるしく感情の変化が
ありました。

看護師一年目の時に
事例検討で発表した
フィンクの危機理論の
4つの危機段階に
あてはまりすぎていていたので

       ここで突然の
✴︎危機理論にあてはめてみたコーナー✴︎

なんともシュールなコーナー😶

①衝撃
病気の疑いと分かりいきなり違う世界にきたような感覚となり不安とショック状態で悪いことしか考えられない。

②防御的退行
自分がこんな難病になるわけがない。タンパク尿(−)の時もあったしきっと間違いだ。
先生もいちお検査を勧めただけだ。
そんなことより可愛い服買おうっと。

③承認
もう一度尿検査や血液検査の結果用紙を出して何度か結果を確認した。これだけの条件がそろえばほんとにIgA腎症なのかもしれない。これから始まる治療を調べて落ち込んで不安になって気持ちが沈んでいく。

④適応
よし。もうここまできたら頑張って寛解を目指すしかない。前へ進もう。



このように病気の受容プロセスが
ありました。
自分の心の変化を客観的にアセスメントして
綺麗に段階をふんだなぁとか
考えてました私。。。
アセスメントが趣味です。。。笑


そして8月31日に腎生検を行い
IgA腎症が確定となりました。

今まで病気とは無縁で
健康そのものだと思っていた自分が
突然難病であることが分かるということは
とても大きなことであって
2023年7月7日から
時が止まったようなら感覚でした。

この時のリアルな感情を
自分の中だけではなく
文章化して残しておきたいな
と思っておりました。

今回とても強く感じたのが
病気を抱えている方と
向き合うお仕事である以上
患者さんや利用者さんを
『病気の人』という見方はしないで
お人柄やこれまで大事にされてきたこと
たくさんのバックグラウンドを
大切にしたいと改めて思いました。

私だって病気になりましたが
『病気の人』ではありません。

ある日突然、たまたま
病気を抱えることになった。
ただそれだけ。
それだけだけど
どれだけの思いを経て
今その病気と付き合っておられるのか
もう一度しっかり考えて
お仕事したいなと思いました。

次回は
腎生検の体験記を
記事にしようと思います!

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