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楽しかったお色気深夜番組

 きっと子供は見ちゃいけないんだろうな、と察するのが、この「お色気深夜番組」。でも「いけない」と思えばこそ、見たくなるのが大人も子供も同じですよね。

 私が初めて見たのは日本テレビ系列「11PM」(1965〜1990)。鉄板ですね。中学生の頃かな。親が台所へ行っていたり、お風呂へ入っている隙に、チャンネルを回しました。
 その中でも印象に残り、私を運命づけたのは「日劇ミュージックホール」ダンサーたちのスタジオでの踊り。
 豪華な衣装、素敵な踊り。そしてトップレスだったことにドキドキした。私はなぜだか、「ここに入りたい」と夢見るようになった。でも、もちろん親にはそんなこと言えない。中学生でも、トップレスの仕事が一般的ではないと、感じるから。でも憧れをずっと持ち続けていた。

 そして人生は色々巡り、お色気番組を見る側から出る立場へとなっていった。初めての出演は「11PM」。多分「オサダゼミナール」のショーをスタジオでやった。これは関西読売テレビ、大阪での撮影だったと思う。
 
いや、時系列が定かではないが、ヌードモデル時代の流れでもっと前に出ていたよな。
 12チャンネルの「独占!男の時間」。ロディオの機械があり、水着姿で乗る、という企画。私は数秒で落ちた。
 12チャンネル「アクションカメラ」。カメラマンと共に麻布「有栖川公園」で外撮り。スタジオで単体だか、絡みだかは覚えていない。
 タイトルは覚えていないが、TBSテレビで当時珍しく「アダルトビデオ」の特集をし、私は「sammビデオ」に所属中の中、ひな壇にてインタビューに答えている。(確かこの時に親族から「テレビに出ていた?」と問い合わせがあったと母が話してい、私は否定した)
 テレビ朝日「ミッドナイトin六本木」。性感マッサージ師というのが流行り出していた頃。女性対象に「マッサージだけでアナタをイカせます」みたいなフレーズで、1コーナーがあった。水着姿でマッサージを受ける。けど、ヤラセですよ。手元をタオルで隠し、手は水着の上から股間を触りまくっていた。

 これらは1980年初頭の話で明らかに「オサダゼミナール」より前ですね。思い出してきました。
 そしてここからはとても記憶に残っている出演。

 1984年スタートの日本テレビ「TV海賊チャンネル」。
司会に所ジョージ、早乙女愛。
 友人の田代葉子ちゃんが「いってみるく!」のコーナーで素人男性の部屋へ訪問しているコーナーがあったな。
 私は「ティッシュタイム」のコーナーに1度出演。3分程の枠で、アンニュイな雰囲気のお姉さんが、ちょっとオナッちゃう、みたいなコーナー。終わり前にカウントダウンされ、ドカーン!と爆発音の効果音が入る。
 この番組を知らない方、「ティッシュタイム」の意味、わかりました?(笑)
 私の回、オファーを受けた時から、そうなるだろうな、と思っていた前振りが台本に書かれていました「今日はなんと、早乙女さんのティッシュタイムがついに見れます!」「えー!私!?」なんてね。
 撮影時、男性物の大きな白シャツと可愛い両ヒモのスキャンティが用意されていた。どんなシチュエーションで撮るかは、現場でその女の子に合わせて決めるスタイル。
ディレクター「(プロフィールを見て)ダンスができるんだ。じゃ、ちょっとダンスの感じでやってみる?」
その時にスタジオでかかっていた曲はビートルズ「サムシング」
私「あー、この曲いいなぁ。好きです」
即興で踊りながら何かしていた。
でも結局、尺の関係もあるのか、アップテンポの曲に変わり(チャカカーンだったような)、
D「猫っぽい感じでいこうか」
徐々に振りが決まっていく。90秒くらいの前振りがあって、オナシーンに入っていく。ここはおまかせ。私はソファーにうつ伏せ気味のポーズだったと思う。
 メイクさんが入り、コケテッシュな雰囲気を作ってくれて、撮影がすごく楽しかったのを覚えている。

 そしてあのテレビ朝日「トゥナイト」。
この番組はハダカ産業に関わっている人は、皆お世話になったであろう。
それぐらい風俗産業と、いい意味で癒着していた。
 番組スタートは1980年(〜1994年)。
開始から半年後に山本晋也監督の「風俗街リポート」が始まり、「カントク」の愛称で呼ばれ、名コメント「ほとんどビョーキですね」が生まれた。

 私は初期の頃、伝説のポルノデパート「ファイブドアーズ」(新宿、浅草、名古屋)の取材で出演しているが、きちんと取材されたのは2回。

 1994年1月6日放送。「ストリップ劇場特集」です。
 前半は新宿TSミュージックの正月興行で、踊子さんの「正月衣装」の値段までテロップに出ていた。正月興行は、踊子専属のホーム舞台へ出演し、新作衣装を新調するときだ。楽屋では衣装自慢が話題になる。30万円〜50万円とバブリーな匂いがプンプン。
 後半はうって変わってアンダーグラウンド。正月からSM大会のショーアップ大宮。私はもちろんこちら。この時の演目は「阿部定」。カントクは「良いねー。阿部定なんていいですねぇ」とコメントしてくれた。
 楽屋でのインタビューもそれぞれ面白い。踊子は楽屋で「部屋着」と呼ばれている素肌に着るもの、いわば「寝まき」のようなものを着ている。化粧前の雰囲気とこの部屋着姿、ステージとのギャップがあり、そこが「その人」を表している。

トゥナイト ストリップ特集(画撮)

 もう1本。これは私の初出版「性の仕事師たち」(河出書房新社文庫)の発売後に直接ディレクターからオファーが来た。
「この本のような番組を作りたいのですが」と。
 「トゥナイト2 1998年11月19日」放送「性の仕事師たち」

 一度「トゥナイト」は終了したもののすぐ「2」(1994年〜2002年)が開始された。司会者が変わっただけである。

 文庫本の中からテレビ取材されたのはマゾ男画家故春川ナミオ氏。ホモ雑誌「薔薇族」編集長伊藤文学氏。チェリスト、画家、文筆家の山口椿氏。
 特集スタートは私の住まいから。当時住んでいたマンションの1室に鉄パイプで櫓を組み、滑車をつけて吊れるようにしていた。逆さ吊りの私。そこへカントクが入ってくる、という流れ。逆さになりながらのインタビューは結構辛かったですよ。

トゥナイト2 自室でインタビュー(画撮)


 そして各人物へインタビュー。ロケ中、山本カントクは、私へのアドバイスで「たくさんの人に会うことは大切。でもすぐ忘れることが大事だよ」と諭してくれた。これは人物を忘れる、ということではなく、細かい一言一言を忘れる、という意味だと解釈した。人にはいろんな解釈がある。1点に固執してしまうと新しいものが吸収されない、というような意味かと思う。
 山口椿氏のインタビュー後には、山口氏が私にボディペインティングをし、氏のチェロに導かれてのパフォーマンス。いやー、面白かったなぁ。

スタジオライブ(画撮)

 この「トゥナイト2」を最後にキー局での深夜お色気番組は激減し、地方の深夜にいくつか残る程度となっていった。とても残念である。テレビだからこそ、下劣にならない風俗情報が知れたのだ。そう、テレビに過激な性を求める方が間違っている。「お色気」程度がいいのだ、と私は思っている。
 テレビの深夜お色気番組は、そういった意味で、夢を与えてくれた。知らない世界を垣間見せてくれた。私はこれらの番組を観れてきて幸せだったと思っている。
 ややこしいコンプライアンスがある今は、もう制作できないだろうなー。
残念、、、。

http://ag-factory.sakura.ne.jp/

 


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