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パフォーマンスいわれ18 <個人宅の園遊会>

 2022年。群馬県、とある個人宅の庭。ここに菜の花畑と一本の桜の樹がある。今回のステージはこの花園での腹切りパフォーマンス。個人宅の庭というと、ちょっとした花壇を思い浮かべるだろうが、そんなしょぼいものではない。十畳程の庭に家主は、花園ステージを一年間かけて作り上げている。

 家主、主催者S氏とは三〇年程の付き合いがあり、私をインドへ誘ってくれたのも氏であり、ストリップ劇場での作品作りにもアイディアを頂いた。「サロメ」「阿部定」「マタハリ」など斬新なストーリー展開を考えてくれた。氏の生業はアダルト関係と無縁だが、「アート」「造形」という大きなくくりで一致する部分があり、話が通じあえる。

 S氏はこの花園でのパフォーマンスを「園遊会」と名付けており、十五年前、氏の生前葬の意味を含めて開催した。この時お客陣には折詰弁当を振る舞いつつ、私のパフォーマンスを披露した。氏は一般の人々に腹切りパフォーマンスを見せることに躊躇はない。なぜならこのパフォーマンスをアートの一つだ、と感じているから。この時の私の音楽を担当したのは、外国人の琵琶弾きであった。花園の舞台は心が動くままに演じる。その時の日差し、風、花に寄る虫。私は感じるままに演じ、腹切りしていく。
 そして昨年、久しぶりにS氏からの電話。「園遊会をやろうと思う。実はずっと花の準備をしていたんだ。これが本当の最後だよ」氏の感性は十分若いが、肉体はついていかない。八六歳の氏は、お手伝いを頼みながら、庭造りをしていた。<あの花園で死ねる最後か>、私は即座にOKした。        前回S氏と逢ったのは3年前。庭の花園での写真作品作りであった。撮影イメージを考慮しながら、庭づくりをしていたという。つまり、毎年どういった目的の花園にするか、イメージしながら1年間の花計画を立てているのである。

 今年の春は全国的に気温が高かった。例年の桜開花日から見て、四月十六日と決めたが、桜は早く咲き、当日には葉桜であった。しかし菜の花は満開。紫の花だいこんも咲き誇り、舞台前面の花壇には水仙、チューリップも見頃となっている。
 前日。スタッフが集まりミーティング&リハ。私はS氏が思い浮かべている「絵」を感じながら、パフォーマンスの流れを考えていく。腹切りは前回同様桜の樹の前。切腹後、私は逆さ吊りになる。天女のように天に登っていくイメージだ。
 その夜中。雨はザーザー振りとなり、私はずっと雨の音を聞いていた。天気予報では晴れるはず。絶対なんとかなる、心の中でずっと祈っていた。早朝まで雨は降っていたものの、七時頃から太陽が輝きだした。やった!今日決行できる。早速庭に出て、会場作りを始めた。

 今年の園遊会、パフォーマンスは二部構成で、前半は踊りと音楽の演奏。後半で腹切りショーとなる。天候は青空が見えたり、雨雲が通過したりと、安定しなかったが、概ね暖かく、見やすい天気であった。
 一部が終わり、いよいよ腹切りだ。                 今回の衣装は、白襦袢にピンクのきぬかつぎ。登場の場に板付き、菜の花たちを見回した。〈お邪魔します。私を受けいれてくださいね〉。今回の演奏はS氏自らが行う。チベッタンボウルを弓で弾くという奏法を編み出し、演奏活動も行なっている。その音は、倍音ながらも乾いた柔らかな音だ。その一弓が聞こえ、スタートとなる。少しずつ歩みながら、菜の花の声を聞くように舞っていく。黄色の鮮やかさ。小さな花々たちの可愛らしさ。このパフォーマンスを待っていてくれてありがとう。そしてもう二度と会えないかも知れない花たち。いろんな想いを浮かべながら、ステージ中央の桜の樹の下へ。

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 S氏がこの地へ住みだして少し経つ頃、「庭に桜を植えたんだよ。育つかどうかわからないけどね」と連絡があった。なんでも桜は、植樹してもその地の土と合わないと育たないそうだ。それから三〇余年。今や幹は両手で抱えられないほどとなった。

 私は感慨深くじっくり樹を眺め、幹を触った。幹の小さな穴に小さな蜘蛛が隠れていた。まさに「桜の樹の下で」私は死なせて頂きます。
 腹切りする前、いつもなら自分の身体を慈しむような仕草をたっぷりするが、今日はそういった感情が湧いてこなかった。早くこの樹と一体になりたい。はやる思いで朱鞘の模造刀の鞘を抜く。刃を眺めていると、客席から「ああ…」と小さな声が聞こえた。模造刀と言えども、遠目から見たら真剣に見えたのか、あるいはいよいよ腹切りか、というため息なのか。私はくすぐったいような感じを覚えながら、所作を続ける。そして突然考えてもいなかった言葉が私の口からほとばしった。
「今日は満月。私は貴方のもとへ帰ります」
 時折、腹切る寸前に言葉を発したくなり、一言のセリフが浮かんでくる。実際、この真夜中午前三時頃満月なのだ。
 私は一気にお腹を一文字に切り、その場に崩れた。苦しんでいる私を黒子が逆さに吊るす。逆さになった私は自らとどめを刺す。全てに感謝の意味を込めて。死体となった私は、樹の高い所まで上っていく。ああ、終わった。これで最後だ。まさに走馬灯である。実際に涙は出なかったが、心の中で終焉の寂しさを感じていた。

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 この花園舞台が無事に終わったことは本当に嬉しかった。そして幸せな時を過ごせたことにも幸せを感じていた。この生花舞台でのパフォーマンス、もう二度とないだろう。美しい舞台を作ってくれた人々に感謝である。

なお、この模様をライター&写真家の都築響一氏が取材してくれ、氏が編集長のメルマガ(有料)「ロードサイダーズ・ウイークリーVol.498」に書いてくれました。ご興味ある方は、ぜひご購読ください。

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