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ピンク映画と日活ロマンポルノ 6

*常連組 片岡修二監督(1)

私が初めて片岡組に出演したのは、1985年「地下鉄連続レイプ」(日活)作品のほんのちょい役からだった。

当時片岡監督は、前回の新田栄監督のような個人で動いているのではなく「獅子プロダクション」という映像制作プロダクションに所属していた。向井寛監督というピンク映画先駆者の一人が率いるプロダクションは、梅沢薫監督、片岡修二監督、滝田洋二郎監督など他3、4名が所属していた。なので監督になっても人手が足りなければ助監督についたり、また、片岡氏は脚本も得意だったので、他監督に脚本も書いていた。監督デビューは1983年「予告暴行・犯る!刺す!」(東映セントラル)。映画が大好きで、アニメーターになりたかった、という片岡氏がテーマに選んだのは、笑いとハードボイルドを織り交ぜた作品だったのである。

私は初出演の時、監督と話し合った。いや、もしかしたらその前に梅沢薫監督作品に出演しているので、そこで話したのかもしれない。話の内容は定かではないが、緊縛が得意と話したのだろう。結論として「よし、君に当て書きする(初めから主人公に据えて台本を書くこと)。絶対書くからやってくれよな」こんな風に言われたのを覚えている。片岡監督は、以前緊縛作品を撮ろうとして、イマイチ成功しなかったので、リベンジを狙っていたようだ。

数ヶ月後台本が上がり、私は連絡をもらった。台本には「地獄のローパー」と印刷されていた。大抵ピンク映画の台本には、脚本家、監督のイメージしたタイトルが書かれている。しかしそのタイトルが採用されることはまずなく、配給会社が一般受けしそうなタイトルをつける。この映画のタイトルは「逆さ吊し縛り縄」。これがウケるかどうか謎だが。

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ストーリーは、主人公スケバン女高生のメグ(早乙女)率いるグループはオヤジ狩りをしている。引っかかった一人のサラリーマン(下元史郎)はヤキを入れられ、片目を潰される。その復習に、サディズムを勉強し、サディストに変身したサラリーマンは、メグに復讐を誓う。

私はこの台本に、本当に感激した。自分の出来なさ加減はさておいても、この作品と巡り会えたことが真から嬉しかった。そして撮影は、勉強と興奮の連続であった。

スケバン女高生メグは仲間がやられた仕返しに、サラリーマン(下元史郎)をやっつけるため、劇中、セーラー服から特攻服へ着替える。胸にさらしを巻いて。私の化粧はスケバンということもあって、映画作品の中でもきついメイクだ。晒しの巻き方も、監督や下元氏から教えてもらうも不器用で、動くたびにずれて乳房が出てしまう( ;∀;)

サラリーマンを探すため、特攻服に着替えたメグは、歌舞伎町の中を練り歩く。監督から「ヒロミ!肩で風切るように歩くんだぞ!」と演技指導を受ける。私は初めて別人格とわかる人間を演じている。いつも自信がなく、下を向きがちな私が番長を張っているのだ。黒サングラスをいいことに、思い切って歩いてみる。その異様な光景に通行人達は誰しもが振り返る。(そして私はわかりやすく肩で風切って歩いていた笑)。

サラリーマンをやっつけるため、チェーンを使ってのアクションシーン。アクションなど初めてである。言われたままに動くも、サマになっておらず、気合いのみでやっていたことが映像をみてわかる。ポーズというのは、当たり前だが、経験値。稽古と自己研究が必要なことだ。今だから言えることだが。

見せ場の緊縛シーン。私の頑張りどころ。名誉挽回とばかりに「どんな縛りでも、吊りでも大丈夫です!」と申し出る。

ここで問題となるのは、縛る人。緊縛師である。日活の緊縛モノでは、専門の人がつく。しかしピンク映画は予算がなく、人員は増やせない。そこでスチールカメラマン田中欣一氏に白羽の矢が立ったのであった。

続く

*逆さ吊し縛り縄(1985年公開)
制作 国映株式会社  配給 新東宝
監督/脚本 片岡修二 
撮影/志村敏雄 照明/斉藤正明 編集/酒井正次 録音/銀座サウンド
出演/下元史郎 早乙女宏美 涼音えりか 杉下なおみ 水上乱 ジミー土田 池島ゆたか

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