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ストリップ資料けんさん5「1994ストリッパーズ名鑑」 写真/文 原芳市

 ストリッパー、踊り子の写真を撮り続けた写真家 原芳市氏の写真集。この時代1990年代初めに活躍していた踊り子74名が網羅されている。

 原氏は一人ひとりに逢い、インタビューし、写真を撮っている。踊り子が劇場以外でのロケ撮影もあり、劇場内での撮影もある、いろんな側面が見れる写真である。でも今となっては劇場内の撮影がとてもいい。なぜならほとんどの劇場が今は無いのである。場内の雰囲気、楽屋の雰囲気がよくわかる写真で面白い。そして踊り子も緊張せず、緩やかな笑顔で、その人の雰囲気が醸し出されている。

 写真は掲載できないが、踊り子の名前を羅列してみる。
影山莉菜、谷沢裕未、浅見しずか、吉永麻子、あやせもも、島田さとみ、花岡舞、名鳥優、阿修羅、大信田ルイ、綾瀬なつみ、秋月華菜、浅草沙夜歌、乙姫くるみ、千堂あやか、小泉ゆか、伊藤舞、仁豊、南英里子、沢口まりあ、芦川美紀、麻美、井上リサ、仁科まゆみ、冴樹しおり、大滝ゆり、早乙女宏美、めるも、田代由佳、高崎慶子、仁科晃、桜木桃香、宮沢えり、水沢ルイ、瀬里奈麻衣、中山みどり、姫ゆり、南けい子、嶋田エリ、麻川梨乃、星ひかる、浅見知佳、白石奈央、織田とも子、永井一葉、森川奈々、山東真由美、鳳美和、瓜生梨穂、沢口ともみ、霞優奈、六本木樹里、南真央、絵留、森口ひろみ、冴葉瀬利華、アミー麗、氷室真由美、千秋まどか、涼子、渚真琴、小泉裸汝、浅野ミキ、秋吉由真、夏樹リサ、笹森悠、高樹麗、蒼真鈴、不二子、秋庭みさ、的場ルイ、森下結花、美咲エリナ、二代目浅草駒太夫(ページ登場順)

 こう名前を記していると、当時の雰囲気を思い出す。私は約半数の踊り子さんと出会い、友となった踊り子もいる。渋谷道劇所属、新宿TSミュージック所属が多く、AV出身の子も多くいる。


  この写真集が発売された当時、劇場常連さん達はここに登場している踊り子全員からのサインを貰うことを目標としている人が多くいた。「今日は早乙女さんにサインを貰うために来ました」という初めて出会うお客様もいた。「早乙女さんはオープンがないからいつ話しかけていいか、タイミングが分からず、諦める所でした」というお客様もいた。その方とは偶然ロビーで会ったりしたのだ。また、頻繁に劇場に乗らない踊り子さんもいたので「あの人のだけがまだなんですよ。何か情報ありますか」なんて話題で話が弾むこともあった。

 私がこの写真集を大切に思っているのは、イチに写真家原氏のファンだからである。以前に資料けんさんで原氏の「ぼくのジプシーローズ」を取り上げた時にも書いたと思うが、原氏の目線は「踊り子の素」にある。
 踊り子を取材する専門記者は当時数名いたが、原氏は持ち前の飄々とした雰囲気もあり、時に鋭く突っ込んだ皮肉も言う。でもそれが踊り子の本音を引き出していた。当時の踊り子の精神構造は一筋縄ではいかない。ヨイショされればもちろん調子に乗るが、心の奥に隠された本音は語られない。真実は「踊りが好き、ステージが好き」それだけではない。原氏はそれを「心のヒダ」と表現していた。心のヒダが見れるのが面白いと。だからこそ楽屋での撮影が生きてくる。

 楽屋の自分の化粧前で撮影される踊り子。私服が写っている。お弁当やお菓子が写っている。ゴミ箱が写っている。楽屋の古ぼけた壁や、擦り切れた畳、壊れかけの戸棚なども写っている。踊り子は1日の大半をその楽屋で過ごすのだ。煌びやかな衣装、照明と全く反対の世界。超日常なわけだ。
 これは私の私見だが、楽屋撮影が嫌、といった踊り子もいたんじゃないかな。確か「楽屋で撮影してもいい?」と聞かれた記憶がある。私はどちらかといえば裏表があまりないので、他での撮影も大変だろうし「いいですよ」と答えたと思う。つまり楽屋隅々まで映されても構わない、と言う意味で。それに反して、踊り子のイメージを保ちたいと思えば、楽屋などもってのほか、となるわけだ。

 そういった意味を含めて、この写真集が愛おしい。踊り子の存在を噛み締めながら、今でもあらためてこの写真集を眺められる。
 これは私個人の思い出である。写真に映し出されているバックから「これは••劇場だ」とわかる。途端にその空間にタイムスリップする。その劇場での記憶が蘇ってくるのだ。社長や従業員、周辺の街並み。そこで出会った踊り子さん。インタビュー記事を読むと「あ、この子こんな事があったんだ」など、今になって知ることもある。原氏の記事は嘘は書かないので信頼できるのだ。

 しかし「あとがき」を読んで少々戸惑いを感じた。この写真集の企画が決まり、改めて撮影をしていく過程で「(前略)作業を開始してみると、幸運だとばかり思っていたことは決して幸運なんかではなく、不運の連続でした。私を嫌っている踊り子さんが何人もいたことが分かって、私は茫然としていました(後略)」この想いによって一時撮影を中断したそうである。

 ここから感じることは、おそらく皆ロケ撮影をして、きちんとした形、「写真作品」として残すことが企画前提ではなかったのだろうか、ということだ。
 原氏はよく「僕のこと嫌っている人多いから」というフレーズを使うことが多いが、私は単なる感情的嫌いとは少々違うと思っている。当時の踊り子さん、めんどくさがりである。ましてやAVなどではなく生粋の劇場デビューの人はそうであった。いわゆるマスコミに対する意識はなく、取材といってもギャラがもらえるわけではない。「まためんどくさい人が来た。ギャラもないのに、いちいち指図されてめんどくさい。撮影なんて嫌!」といった意味で「NO」といわれたのではないだろうか。原氏個人に対しての好き嫌いではなく。
 それと劇場側、事務所の問題もあるだろう。マスコミに出ることを嫌がる劇場がほとんどであった。警察に目をつけられるのを恐れてだ。保守的に穏便に営業したいところがほとんどである時代だ。
 なのでこの写真集は、何とか完成させるためにロケ撮影と、劇場内撮影と別れたことになってしまったのではないか、と感じている。それでも出版にこぎつけたのだからよかったのではないか。版元の「風雅書房」はもう倒産しているのでこの写真集も希少価値になってしまった。

 そして写真家原氏もこの世の人ではなくなってしまった。
この写真集の中で、友であった踊り子数名も私より先に逝ってしまった。そういった深い想い出も含めて、この写真集を度々開いて眺めているのだ。


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