人は魅力でしか縛れない。損得勘定って美的センスが欠落している。欠落に気づく喜びは美的センス🌹
写真は、さっき撮った夜景。
少し前まで、
美しい夕焼けが見えていたのに、あっとゆうまに夜景に変わっちゃった。
人も女もあっとゆうまに変わる。
だから、私は「変わりたいです!!」
と言って、変わる為のアクションをしない人間が嫌いです。
「おはよう」と同じノリで言ってんの?
ホラ吹きとはこのこと。
よく、自分に嘘がつけるよなと思います。
同じように、損得勘定最前線思考も嫌いです。
金勘定だけじゃなくて、
「どうすれば好かれるか?」
「どうすれば構ってもらえるか?」
「どうすれば嫌われないか?」
対人においても、
恋愛においてもこれをする人は美的センスが欠落していてダサいです。
恋愛でいうと、
「恋愛テクニック」がまさにこれ。
恋愛テクニックを発信する側も、
ホイホイ飛びついて実践する側も、
「人は魅力でしか縛れない」
ことを知らない。
対人関係においてこれをする人もそうです。
「人は魅力でしか縛れない」
束縛だの依存だの執着だのって、
この事実を知り、自分の思考を知れば終了です。
「ありのままの自分の魅力でしか縛れない」
いくら理想の女を演じても、
我慢しても、何しても、
虚像の魅力は魅力じゃないです。
「私の魅力がわかりません」
あるあるです。
自分のこと見てんの??
自分のことを出してんの??
演じる自分、見事に捻くれた自分しか外側に見せないで、誰に魅力がわかるんですか?
そもそも自分の魅力って、自分ではわかりにくいもの。
人に言われて初めて知って自覚するんじゃんね。
自分を知らず、自分を偽る人の魅力を誰がわかるんですか?
教えてくれる人、いるわけないじゃん。
上っ面付き合いなら、
上っ面のお世辞を並べてくれるでしょうが、
お世辞だからね。
当たり障りない、お世辞。
そもそも、
自分を知らない人は、
人の本質的な魅力なんてわかりませんから。
そして、「魅力」は人それぞれ感じるところが違う。
魅力に惚れ込んだ同士が愛し合って一緒にいるんじゃん。
損得勘定する時点で、魅力に惹かれあってないよ。
魅力に惚れ込んでいたら、
魅力に縛られていたら、損得勘定してる暇がないもん。
「愛してる」
これだけ。
「愛されている」
これだけ。
これだけだけど、これがとっても美しい♥️
女の切なさも、男の切なさも美しい。
切なさという美しさを、
すぐに「損得勘定」に変える思考って、
本当に美的センスがないです。
「切なさ」を感じるって、めちゃくちゃ豊かだよ。
ただ、「切なさ」を感じていればいいのに、
疑いもしてない自分の思考でサクサク処理して、
ロボットか。と思う。
そそくさと恋愛テクニックに走って、わざわざ不感症の沼に飛び込んで、
「切なさ」を取りこぼして、ダサいです。
そもそもダサいです。
ダサいに失礼なぐらい、ダサいです。
そして、
「美的センスが欠落している」と読めば、
「否定された」となる思考は、
最高にダサいです。
自分の欠落に気づくことを「喜び」だと受け取れないその思考と生き様がダサいです。
「欠落」は、無限に拡がる豊かさ。
プライドエベレストって、相対的価値観で、
最大公約数的に使われる「良くない、出来ない」を意味する言葉に過剰反応しますが、
だから、豊かさを取りこぼす。
思考を直視してないから、
最大公約数で表現される相対的価値観に流されるんです。
「欠落」を見出すって、めちゃくちゃ素晴らしくて、めちゃくちゃ豊かです。
「欠落」を受け取れないって、
めちゃくちゃダサいです。
まさか自分が完璧とでも???
完璧なんてないですよ。
そして、完璧である必要もない。
「欠落」なんてみんな在るし、
私は私の中に欠落を見出す男にたまらなく惹かれます。
魅力を感じます。
私は私の中に欠落を見出す豊かさが喜びです。
魅力を感じます。
しかし、美的センスは生まれつきと、
いかに磨いているか??ですからね。
磨けば誰でもセンスは良くなります。
相対的価値観の最大公約数の言語に埋もれ、
自分をその物差しではかるうちは、センスは磨けません。
私の為に作られたかと思った♥️
可愛すぎて♥️
この動画、ほんとオススメ♥️
新作は待ってね♥️
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