人生のたからもの

 毎週末が嫌いだ。あーまた始まったー。娘たちのケンカ。
 平日も学校や保育所に行く前から、そして帰ってきてからも、もちろんやってるんだけど、週末ともなれば朝から始まりそれが一日中続くわけで。だから、土曜日がくるともう、うんざり。これが週末のまるまる2日間続くわけだから、週末が嫌になるわけだ。

 今日も早速。
 「ひどぉーい!妹が叩いた」
 「ねえねがビンタしだぁ」
 「ほっぺたさわっただけですぅ。一回死ねばいいのに」
 「ねえねのバぁぁぁーカッ!ぺッペッ!!(唾を吐く音)」

 女の子とは思えないほどの汚い言葉遣い。半端ない。
 こんな言葉遣い、学校ではしないでいてくれることを親として心から祈らざるにはいられない。どうして仲良くなれないのかしら。そんなに互いが憎いのか!?お母さんは悲しい!そんなことを叫んでも、収まるわけがない。

 自分は子供の頃どうだったかな。子供の自分を振り返ってみる。
 そういえば、一つ下の妹には泣きながら怒鳴り散らしてたな。一緒に遊びに行ってもわざと置き去りにして先に帰ってきちゃったり。確か弟にはほっぺたバーンってビンタしたこともあったかも。子供の頃の姉弟なんてそういうもんだったかもしれないな。

 ところが大人になってからの私たち姉弟は、GWやお正月に会うのはもちろん、ちょっとした連休にも互いのスケジュールが合えば集まって、互いの家に泊まったりキャンプに出かけたりしている。コロナ禍の今は、会えないのは残念だけどたまにリモートご飯やったりしつつ、仲良くできていることがうれしい。離れていても、互いに頼ったり頼られたりしながら、お互いの存在が尊いものだと感じられるし、存在に感謝だ。
 今があるのは、もしかしたら幼いあの頃に、ありのままの自分で正直に言いたいことをぶつけ合い、時には殴り合う喧嘩が全力でできたからこそなのかもしれない。

 そう考えれば、日々ぶつかり合っている二人を止めるわけにはいかないなと気づく。
 特に、学校ではかなり優等生タイプで過ごしている(らしい)お姉ちゃんは尚更だ。学校のみんなは家にいる彼女を想像できないだろう。唯一自分らしくいられる家でこそ、ケンカでもなんでもしたいことをして自分を大いに曝け出してほしい。そしてせんちゃんも、幼いながらに5つ上のお姉ちゃんとやりあうことで、他の人にはこれ以上やってはいけないというレッドラインを学習している。 

 人生において、彼女たちの将来にとっても、ケンカが必要不可欠なものだと気づいた今、もう止めるわけにはいかない。

 よし、ケンカ上等!ほれほれ、もっとやれ!ハッパをかけようと彼女たちをに目をやると、そういう時に限ってNIZIUダンスを踊っている。かわいい!!思わず笑顔になる。なんだかんだで、彼女らの存在にいちばん幸せをもらっているのは、この私であることに間違いはない。わんぱくでもいい。存在してくれているだけでいい。それだけでお母さんは幸せなんだから。
 一人感傷に浸り涙ぐんだことを皆に悟られまいと、ティッシュで鼻をかみふと顔をあげると、取っ組み合いのケンカを始めている二人なのであった。親の心、小知らずである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?