2004年10月03日(日)

 うなじがちりちりと焼け焦げるのを感じながら、一生懸命走る娘を応援する。ゴール直前で転んでしまい、涙する娘を慌てて迎えに走る。走る私の脳裏に、幾つもの映像がフラッシュバックする。子供の一年というのはなんて早く過ぎ去ってしまうのだろう。もっとゆっくり生きていいのだよともし私が口に出したとしても、止めることなどできない時計の針が、なんだか少し恨めしい。
 前日のあの肌を焦がすような日差しは嘘のように消え去り、今日は一日雨。窓の外から響いて来る行き交う車の音も、晴れた日とは違う音。アスファルトを濡らす雨を弾くようなその音。車の行き来が途絶えてしまったなら、もう何の音もしない。なんだか街の真中で取り残された子供のような気持ちになる。
 ふっと思いついてしまったことが、頭から離れなくなる。娘が独立した後、私は一体どんな暮らしを営めばよいのだろうというその一事。そんな先のこと今から考えたって何の足しにもならないと何度も思ってみるのだけれども、一度刻み込まれたその不安な思いが、どうしても脳裏から消えてくれない。私はどうするんだろう、どうなるんだろう、今からそのときの準備をするべきなのだろうか、準備をするとして、一体どんなことを準備すればいいのか。
 私はただ、途方に暮れる。

 悪夢というのはたいてい繰り返し訪れる。一度きりならば記憶から或いは意識から拭い去ることもできようが、繰り返し繰り返し現れるその映像は、どうやっても私の中に刻み込まれてしまう。それが苦しい。
 それはあの、加害者の顔。いけしゃぁしゃぁと、あの時はごめんねと言ってのける、その能天気な顔。昨日も一昨日もその前の日も、私のただでさえ浅い眠りを侵食する。何の曇りもなく、すかんと笑って、あの時はごめんよと。私は血反吐を吐く思いで、その夢から自分を引き剥がす。目を覚ました私を待つのは、黒々とした天井と、枕元に置かれた時計の秒針の音。そんなとき、胸の中は荒れ狂う嵐なのに、私の意識はやけに冴え冴えとしていて、物音一つしないのだ。激情に任せて絶叫し髪を振り乱して泣き叫びたい私と、その一方で、すべてを淡々と受け止め感じるすべてを無音にしてただそこに存在するばかりの私と。あまりにその二つはかけ離れていて、私は自分の体がめりめりと引き裂かれる思いを味わう。けれど、体は決して引き裂かれることはないのだ。引き裂かれるのはこの体ではなく私の心。私の意識。引き裂かれることさえできない私の体と、引き裂かれるばかりの私の心とを、一体どうやって一つのものとして抱きとめたらいいのだろう。私は、流れ落ちることのない溜まる一方の涙にくれる。

 何を思い浮かべるでもなくただぼおっとして珈琲を口にしていると、娘が突然話しかけて来る。どうしたの、ママ。
 だから思いきって正直に言ってしまうことにする。あなたが結婚して独立したら、ママはどうするんだろうなって思ってたの。一人になったら、私はどう暮らしていけばいいのかな、って。
 すると彼女がためらいもなく答える。あのね、結婚はね、男の人と女の人がしなくちゃいけないの、だからママとは結婚できないけど、でもあぁこは、ママのことちゃんと覚えてるから。ママのこと好きって覚えてるから。
 彼女に悟られないよう、私はとりあえずにっと笑って、彼女を抱きしめる。抱きしめながら、私は、ありがとうという気持ちの一方で、ひどく切ない気持ちがしていることを、いやというほど味わう。

 あの加害者の顔から芋づる式に記憶から引っ張り出される幾つ物顔、顔、顔。それは私の心臓に杭を打ち込むような代物で、だから私は、胸苦しくて、突っ伏してしまいたくなる。けれど、一度それをしてしまったら、立ち上がるのにまたひどく時間を要してしまうから、私は何とか突っ伏すことなく、必死になって両手両足で体を支え、台所に立ってみる。自然に伸びた右手が、包丁を握る。だから私は、まな板の上に自分の腕の代わりに大根を置き、ただ一心に大根を切る。切って切って切って切って、そうして切り刻んだ大根を鍋に放りこむ。やがて鍋の中で大根は煮立ち、私はもう余計なことを考えないよう、だしをいれ、味噌を溶かす。私の腕の代わりにされた大根は、そうやって夕食の時、テーブルに並べられる。私は無言で、ただそれを食べる。
 そして思う。
 私が今口にいれたのは、私の腕だろうか、それとも加害者たちの腕だろうか。私が今噛み砕いたのは、私の骨だろうか、それとも。

 窓の外、雨は降り続ける。私は多分、少し、疲れている。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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