2005年02月20日(日)

 娘を寝かしつけてからずいぶん長い間、窓を開けて外を眺めていた。左へ左へと傾いて落ちてくる雨の筋を心をからっぽにして眺める。雨にまつわる様々な記憶はきれいにしまいこんで、ただ今目の前の雨を眺める。
 やがて雨筋が短くなり、その中に細かな粒が混じり始め、そしてまるで魔法をかけたかのようにさらっと、雨と雪とが入れ替わる。その見事なまでの変化に、私の目はますます引き寄せられる。現れた白い粉は、風に乗り、時折渦を巻くようにして街の中舞い踊る。街灯の橙色の光の下に現れるその粉が描く模様は、一時たりともとどまってはいない。私は椅子から立ち上がりベランダに出て街を見下ろす。アスファルトは先ほどまでの雨ですっかり濡れており、白い粉は次々に、その濡道へと吸い込まれてゆく。あっという間の命。もう一度街灯の灯りの輪の中へと視線を戻す。パウダーのような粉雪は、さやさやと軽やかに踊り続けている。

 朝、出かけようとして玄関を開けたところに宅急便が届く。未海宛の荷物。Mが誕生日に間に合うようにと届けてくれたプレゼントだ。娘が宛名に気づく前に私は奥の部屋へとその荷物を隠す。誕生日のその日に渡してやろう。
 娘と二人駅へと。毎週の行事の実家行き。電車の中でにょろにょろを為す。今日の娘はGacktに想いを寄せる女の子になりきっているらしい。おもちゃの携帯電話を出して「見せてあげるわ、ほら、Gacktと一緒に撮った写真なの」「あら、これは何処で撮ったの?」「Gacktのお部屋に遊びに行った時に撮ったのよ」「えー、Gacktの部屋に行ったの?」「うん、素敵でしょ」「…あ、はい」「K先生との写真もあるのよ」「ねぇ、GacktはK先生と未海とどっちを好きなの?」「うーん…どっちも」「そうなんだ、じゃぁGacktは誰と結婚するの?」「二人と結婚するの」「えっ!一夫多妻かい…」「あぁ、Gacktさまぁ」。手を合わせて目を閉じてうっとりした表情を浮かべる娘に、母はただひたすら呆然と。でも実は娘はGacktの映像を家のテレビなどで見たことはない。保育園の担任のK先生がGacktのファンで、先生からあれやこれやGacktの話を仕入れてくるのだ。それで今、Gacktに想いを寄せる女の子を演じきっている。娘よ、君は自分の思いつき一つでその役になりきるところは天下一品。女優さんの道でも歩むといいかもしれない。

 お茶の時間。決してカタカナでもローマ字でもない、ひたすら平仮名の「はっぴばすでぃとぅゆぅぅ」の歌をじじばばと四人で大きな声で歌う。二月は母と娘の誕生月。今日はそのお祝い。そういえば、いつからだったろう、じじばばと四人で娘の誕生祝をするようになったのは。思い出そうとするけれどもうまく思い出せない。最後にあの部屋で祝った時、娘も私も髪が短かった。まだ肩につくかつかないかの頃だった記憶が浮かぶ。あれからあっという間に時間が経った。今祝うのは母六十四歳、娘五歳。五本の蝋燭の火が娘の息でふぅっと消える。
 当たり前のようにこうして私たちは実家に集い、お祝いをし、笑い声を響かせる。何処の屋根の下でもあるだろう日常の風景。でも私は、それが当たり前に感じられれば感じられるほど、不思議になるのだ。あれは何だったのだろう、と。
 いつの頃からか、両親に期待されていることを私は強く感じて育った。その期待に応えなければと思い、幼いながら必死だった。父母に誉められたい、父母に愛してもらいたい、ただその一心で、私は毎日をがむしゃらに生きていた。時々悲しくて泣きたくなる時があり、そんな時は唇を噛み締めながらひたすら父母に好いてもらうための行為を為し続けた。信じていたのだ、その頃はまだ。そうやって頑張れば、私はきっと父母にいっぱいいっぱい愛してもらえるはずだ、と。愛して欲しいから、愛されてると確信したいから、私は必死だった。
 けれど。少しずつ少しずつ私は知ってゆくのだ。父母の思う通りの人間になどなれやしないということを。
 それを味わうたび、私は少しずつ少しずつ、ずれていった。すれていった。愛されているという確信など、どれだけ努力しても私は得ることができなかった。それはやがて、私は両親に愛されていないのだという形になり、それは同時に、自分は両親から愛される価値もないどうでもいい存在なのだという思いを形作った。
 気づけばもう、どうしようもなくすれ違っていた、父母と。家の中はいつだって緊迫していた。ほんのちょっと間違って足を余計に進めたら爆発する、そんな状態にやがて家の中はすっかり支配されてしまった。私は家の中にいることが息苦しくて息苦しくてたまらなかった。耐えられなかった、自分を愛してくれない両親と共に生活することに耐えられなかった。なのに私は、父母に愛してもらいたいという一心不乱の願望を捨て去ることができず、両方に引き裂かれるようにして毎日声なき悲鳴を上げていた。どうにかして父母の期待通りの子供になりたい、父母の期待を具現化したような子供になりたい、そんな思いがぐるぐると空回りしてた。もうこれ以上この人たちの傍にいたら私は死んでしまうという私の絶叫が、家を飛び出すという形になって現れたとき、私は両親との緒を切り落とした。その後私の身にふりかかったあの事件も、私たちを近づけるどころか、私たちのその在り方に拍車をかけた。もう、私たちは、交叉できないところに来てしまったと、その頃一体何度思っただろう。
 それが今、私たちはひとつ屋根の下にこうして集い、歌を歌っている。こうやって笑い合って歌い合うことは当たり前のことであり、何の不思議もない、というように。だから私はふとした折に戸惑うのだ。あれは何だったのだろう、と。
 いや、もう知ってる。未海という共通項が今ここに在るからだということを。痛いほど感じている。私も父も母も。「未海が再び結びつけてくれた、未海が産まれてくれたことにいくら感謝しても感謝したりないよ」と、父がぽつりと言ったことがあった。それが、私たちのすべてを言い表しているように思う。
 はっぴばすでぃとぅゆぅぅ。私の耳の中でみんなの声が木霊する。本当にそうだ、産まれてくれてありがとう、娘よ。君は唯一無二の存在。君がこの世に産まれてくれたおかげで私たちは再会することができた。そして私は、自分が愛されていない存在なのではなく、どんな時も彼らに愛されていたのだということをようやく受け容れることができた。愛は得るものではなく、ただそこに在るものだということに、気づくことができた。すべて、君のおかげ。

 いつの間にか冷たい雨はやみ、夜の闇はただじっと横たわる。昨日あの街灯の明かりの下舞い踊っていた粉雪はまるで夢のように消え去り、今夜は明かりもじっと沈黙している。今ここから眺められる街景の中に明かりの点る窓はなく、恐らくはどの屋根の下でも、穏やかな寝息が繰り返されていることだろう。もしかしたら夢にうなされている誰かの寝息もあるかもしれない。
 その誰もが唯一無二の存在。産まれてくれてありがとう、と、その言葉を受け取るべき存在。ここに在てくれてありがとう、と、抱きしめられる存在。
 人はもしかしたら、愛を営む為に在るのかもしれない、なんて言葉が私の脳裏をすっと過る。声に出して呟いてみる。産まれてくれてありがとう、ここに在てくれてありがとう。娘へ、そして街の全てへ。小さい小さい、小さい声で。

 やがて夜が明ける。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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