2004年06月08日(火)
日曜日に娘と作ったティッシュペーパーのてるてる坊主四つ、今夜も窓の外、風に揺れている。夜闇に浮かぶてるてる坊主は、妙に白く輝いていて、まるで自ら発光しているかのようにさえ見える。ただのてるてる坊主。されどてるてる坊主。
ベランダのサンダーソニア、一番下の蕾がとうとう色づき始めた。蕾の先端はもう、わずかに橙色が顔を見せている。こうなるとあっという間。花はまさに一気に咲いて一気に散ってゆく。
洗い物をしながらニュースをぼんやり聞いている。人が死んでゆく様を傍らでじっと眺めている気持ちとはどんな気持ちなんだろう。しかも自分が傷つけたことで血を流し死んでゆく様を眺めるのは。
私は自ら飛び立った友人たちを、間近で見送った記憶が幾つかある。中には脳みそがあちこちに飛んでいたこともあった。それは血の海の中でひときわ白く、つやつやぬめぬめと輝いていて、まるでそのもの自らが生きているかのようにさえ見えたことを今でもありありと思い出す。血の色もまた、刻一刻と変化するのだ。同じ体から出て来る血なのに、血は一瞬たりとも同じ色をしていない。ついさっきまで命が宿っていたはずの肉体が、まるで投げ落とされた人形のようにぐにゃりと横たわるアスファルトは、やけに熱く、同時に背筋を凍らせるほどに冷たく、私は一体自分が何処に立ったらいいのか分からなかった。何度経験しても、それは変わらない。ついさっきまでありありとした体温を抱いていた肉体が、冷えてゆく、その温度差に、私はただ呆然と立ち尽くすしか術がなかった。
最初にその出来事と出会ったのは高校一年生の春だった。以来、私の周囲では飛び立つ友人が何人も現れた。そのたび私は取り残された。そう、取り残された、当時はまだそういう感覚だった。そして彼女たちはいつだって、その年齢で止まったまま、私の記憶に刻まれる。一方私だけが刻々と歳を重ねる。そのことに疑問を覚えもした。どうしてと尋ねずにはいられないこともあった。どうして私だけ生き残るの?と。どうしてあなたは死ぬことができたの?と。
今は、多分、私は何も尋ねない。同時に、生き残らされたとも思わないだろう。これは彼女が選んだこととして、私は受け止めるしかないのだと。彼女がそれを選んだのなら、私はもうそれをただただ、受け容れるしかないのだろう、と。
それでも、死んでほしくはない。死んで欲しくはないから、生きている間に彼女を必死に引き止める。怒りさえする。私にできることは片っ端からやってみる。多分それは、彼女に生きてほしいと同時に、私が後悔したくないからなんだろうなと思う。それは或る意味すごくずるいような気がする。ずるいと思いつつ、それでも私は、彼女が死んだ後、私が納得して生きてゆけるようにと、せめて納得して死を受け容れることができるようにと足掻く。たとえそれがどんなにずるいことであっても。
今ふと思う。樹の血は一体どんな色をしているんだろう。樹皮を傷つければ流れ出るものなのだろうか。それとも。
もちろん私は知っている。樹に血なんてない。人間のような紅い血は、そこには存在しない。でも、人間が生きているときに出す鼓動に似た音を、樹は間違いなく持っている。
とく、とく、とく、とく。
樹を抱きしめて目を閉じて、じっと耳を澄ますと聞えて来るその音。もしかしたらそれは、根が大地から水を吸い上げている音なのかもしれない。違うかもしれない。でも。音がするのだ。その音は規則正しくて、人の心臓の音にとてもよく似ている。
だから、安心できるのだ。樹を抱きしめていると。目を閉じて耳を澄まして、ただただ自分の何もかもを樹に預けていると、そう、聞えて来るその音。
私は樹を眺めるとき、だから、いつでもじっと耳を澄ます。遠く離れている樹であっても、私は耳を澄ます。もしかしたらあの樹の鼓動が聞えるかもしれないと思って。
人よりもはるかに長い時間この世界で過ごす樹の、その音は、何処までも深く澄んでいる。だから私を安心させる。まだ大丈夫、まだ大丈夫、そう思える。
あの、散っていった友人たちは、樹の音を知っていただろうか。時々ふと、そんなことを思うことがある。もし知っていたなら、何か違っただろうか。いや、何も違いはせず、彼女はやはり、あの場所であの時命を断ったのだろうか。
そう思うと、私はどうしても空を仰ぎ見てしまう。そして呟いてしまう。ねぇ今、そこから見ているなら、樹の音を聞いてみてよ、一度でいいから。きっと樹の音色は、人の涙に似ている。そんな気がする。
これから先、何人の友人の自らの死に出会っても、私は多分引き受けていくだろう。生き残った者だからこそできる何かを、探していくだろう。
そして思うんだろう。
私は自ら命を断つことだけはしたくない、と。死が訪れるその日まで、私はどんなことをしてでも生きていく、と。
窓の外では相変わらずてるてる坊主が揺れている。樹の葉々も揺れている。街燈が黙って、鈍い橙色の光を放っている。私はここに在る。
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