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五百字 91.、92.

91.
 展覧会中に友人たちから貰った花束の中に、幾つかの
薔薇の花が入っていた。家に持ち帰った私は、薔薇の枝
だけ抜き出して土に挿した。挿し木である。とはいって
も大半は枯れてしまう。だから新芽の先っちょがこう、
幹の節目から出てきた時には、もう飛びあがる程に嬉し
い。私はそうして生き延び新芽を広げ出した枝を毎日眺
めつつ一年後を夢見る。どれだけ花が咲いてくれるだろ
う、どんな鮮やかな花びらを見せてくれるだろう、と。
 人間は不思議だ。つい数年前まで私は一ヶ月先どころ
か明日を夢見ることさえできなかった。長いこと私に明
日などなかった。生きていることは地獄のようだった。
それが、今私は、一年後に咲いてくれるだろう花の姿を
こんなにうっとり夢見ている。自分に一年後もあるのだ
ということを何の根拠もないけれどもこんなにも信じて。
 人間は不思議だ。こんなにも治癒力を持っているもの
だなんて、あの頃の私には思いもつかなかった。でも、
今確かに、私は一年後を夢見、信じている。そう、振り
向けば、あの傷もこの疵も時が少しずつ少しずつ、でも
確実に、後ろへ押し流してくれているのだということを、
今、薔薇の新芽を見つめながら私は知る。




92.
 何かおかしいなぁと思ってはいた。株分けした苺の苗
のことである。一方はとても元気に新しい芽を出してい
るのに対し、もう片方が日毎元気がなくなる。しまいに
は葉がぐったり倒れてしまった。
 鉢を手元に引き寄せそっと触ってみると、あっけなく
葉は根元から折れた。いや、折れるというよりも。試し
に苗を引っ張ろうとして呆然とする。私が指先に力をこ
めるより先に苗が抜けてしまったのだ。
 そう、根腐れをおこしてしまっていたのである。抜け
てしまった苺の苗に根はもう殆どついていなかった。株
分けした折にはあんなに茂っていたというのに。
 思い当たることはただ一つ、水のやり過ぎだ。元気が
ないからと私は一日に何度もその苗に水をやってしまっ
ていた。鉢の皿にはいつだって水が入っていた。元気が
ないからと過剰な世話を私は焼いてしまっていたのだ。
 あぁ、陽射にも水の量にも適当というものがあるのだ。
不足も過剰もだめなのだ。きっとそれは、植物だけじゃ
なく人間にも云えるはず。しなさすぎも、それからしす
ぎもされすぎもきっとどちらもよろしくない。適当な加
減を知らないと、根こそぎダメにしてしまう。

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