2005年02月21日(月)

 日曜日、娘と二人で散歩する。本当ならカメラを持って出る予定だったのだけれども、私がつい忘れてしまった。もったいないことをした。だから彼女に申し込む。「ねぇ来週の日曜日、ママの写真につきあってくれる?」「えー、やだ」「え? 何で何で?」「未海お留守番してる」「えー、どうして! ママにつきあってよ」「んー」「じゃ、写真が終わったら、未海の好きなもの食べていいから、どう?」「しょうがないわね、ママは。未海が一緒じゃないと写真撮れないの?」「…いいじゃんよー、未海のお写真ママ撮りたいんだもの、つきあって」「しょうがないわね、つきあってあげる」。五歳になる娘にもしっかり自分の意志というものができてきたのだろうか、と思う反面、食べ物にのってくるところなどはまだまだ五歳だな、と可笑しくなる。
 別に何処に行くという明確な目的を持っていたわけでもなく、二人でてこてこ歩く。車があまり通らない坂道で、よーいどん。私が彼女に合わせて走っていると、彼女は私を先に行かせまいと私の前に出てくる。なによぉ、なんてちょっと文句を言ってみると、彼女は大喜びして余計に邪魔してくる。右に左に行ったり来たり、じぐざぐに走る母娘。ふと見上げるとスズカケの木。枝にはまだ、ぶらんぶらんと実がぶらさがっている。
 ついこの間までそこにあった壁のひび割れた建物は、もう影も形も見当たらない。空き地もきれいに均されてしまっている。あのひび割れ具合が何とも懐かしい匂いを漂わせていたのにな、と少し寂しい気持ちになる。次の角を曲がると橙色の実を夥しく枝に抱えた木の影。古いアパートの庭の中でしんと立っている。風もない夕方。実の色と葉の色とが鮮やかに、夕焼けに映えている。次の角を反対に曲がると防具屋さん。三人の男子学生があれやこれや竹刀を選んでいる。みなきれいに背筋の伸びた少年。その向かい側にあった豆腐屋は扉を閉めたきり。もうここにあの老夫妻は住んでいないのだろうか。何の気配も感じられない。おからください、と、何度ここに通っただろう、もう豆の匂いさえしてこない通りを、娘と二人で歩く。
 そろそろ帰ろうか、と、小学校に沿った道を歩いていたら、いきなりごつんという音が響いた。びっくりして娘を振り返ると、娘が口を歪めている。その直後、大きな声で泣き出す。どうも彼女は前を見て歩いてはいたけれど、何か他のことを考えていたらしい、目の前に立っている電柱に全く気づかずに歩を進めていたのだ。そして電柱に激突。咄嗟に抱き上げるけれどももう泣くのは止まらない。でも。娘を抱きながら、こっそり私は笑っていた。なんでこんなところがそっくりなんだろう。目の前に何かあることは分かっていても何も見えてなくてその障害物に激突するというのは私の得意技だ。そのおかげで生傷が絶えない。そんなところ、似なくてもいいのに。娘の頭を撫でながら、私は笑いを堪える。娘よ、こんな母の元に産まれてしまったのだから諦めてくれ。
 あれ以来、私は娘と一緒には眠らないようにしている。時として誘惑にかられるけれども、我慢我慢と思って身を起こす。そのおかげなのか分からないけれども、眠るまでの間に彼女に私の激情をぶつけるようなことはなくなった。今夜もそうして寝息を立て始めた娘の横に座り、あれやこれや話しかける。もちろん娘は眠っていて聞こえているとは思えないけれども、今日話し忘れたこと、思い出したこと、あれやこれや、小さい声で彼女に話しかける。私の中に潜んでいる激情の塊が溶けてゆくまでは、こうやって、こっそり彼女に話しかけることで自分を満足させる。

 翌日。いつものように病院へ。朝一番の病院は受付も空いている。私は込み合った場所が恐い。この待合室がもし人でいっぱいだったら、私は悲鳴を上げてしまうだろう。心の壁がひどく薄いために、周囲の人の声がどくどくと私の内に流れ込んできてしまうのだ。そんな状態で診察を受けると、診察室に入って安心した途端パニックを起こす。自分の心の状態を話したいのに、ついさっき待合室で流れ込んできた他人の心の悲鳴のことを話すので精一杯になってしまう。だから私の診察は、いつもできるかぎり朝一番になる。
 「先生、先週はよほど途中でここに来ようかと思いました」
「どうしたの?」
「娘に対してめちゃくちゃなことをしてしまいそうで、いえ、実際にそうしてしまった日もあるんです」
「…」
「だから、娘と一緒に眠ることはやめることにしました。私、横になるとだめみたいなんです、普段押さえてるものが知らないうちに流れ出てしまうみたいで」
「…」
「できるなら、毎日毎日ずっと、布団の中にとじこもっていたいです」
「鬱がひどい感じ? もう何もしたくない?」
「…いえ、そこまでは。鬱かどうか分かりません。むしろ、波が激しいように感じる。上がったり下がったりあまりに激しくて、自分がついていっていない、みたいな。何もしたくないというより、もうここに隠れていたいって感じです。ずっとこの布団の中に隠れていたい、みたいな」
「…」
「洗い物とかも、出来なくなっちゃうんです、しなくちゃしなくちゃと思うのにできない。お風呂もまだ恐い。でも、もちろん入るんですけれども、結局洗い物も自分でするしかないからするんですが、そこに辿り着くまでがしんどくてたまらないです」
「…疲れてるわねぇ」
「疲れてるんでしょうか、それもよくわからないです」
「最近は眠れてる?」
「…眠れてるっていえば眠れてるときもあるのかもしれないんですけど、先生、横になるのが恐いです。横になる決心をするまでにすごく時間がかかってしまって、結局夜明けになってることも多々あります」
「まだ恐いのね」
「恐いです。横になったら、自分の力全て奪われてしまう気がする。いえ、それだけじゃぁないんですけど、恐いです、無条件に恐い、あの時のことがちらちらする」
「…」
「今も、なんかちょっと変なんです。私、この診察室出たら、ぴょーんってテンション上がっちゃって、けらけら笑っちゃうような気がする」
「なんかそんな感じね」
「うまく言えなくてすみません」
「とにかく一日一日生き延びることよ、今は。混乱してる状態が続いているから疲れてしまうだろうけれど、疲れて当たり前の状態なのだから自分を責めたりしないでね。パニックを起こしても自分を責めないで。いつパニックになってもおかしくない状態なんだから。ね。生き延びて来週もまた会いましょう」
「…はい」
 そうして私は診察室を出て、薬局へ行き、処方箋を受け取る。狭い交差点、信号機に寄りかかってみる。日の光がやけに明るく感じられ、私は目を上げられない。目を上げられないほど眩しいはずはないのに、私にはそれが眩し過ぎると思えてならない。そうして私は俯いたまま家路を急ぐ。

 気がつけば夕方。西の空に目をやると、地平線沿いにほんのりと茜色。裸ん坊の街路樹が路上に長い影を落としている。ふと時計を見ればもうお迎えの時間。慌てて自転車を走らせる。こんな時間になっているとは全く気づかなかった、いつの間に日がこんなにものびていたのだろうと、自転車に乗りながら西の空をもう一度見やる。ついこの間まで、娘のお迎えの時間には辺りがすっかり暗くなっていたのに。考えてみれば今年ももう二ヶ月が過ぎようとしている、日が経つその速度に、私は何となく追いついていけない。
 娘と一緒の時間が慌しく過ぎる。そして今はもう、彼女は穏やかな寝息を立てながら眠っている。窓を半分ほど開けると、小さな風に乗って通りの音が流れ込んで来る。バスの停まる音、遠くを行き過ぎるサイレン、首をすくめて歩くサラリーマンの足音。どれもこれも、毎日のように耳にしている音たち。そこには何の特別なものも付加されてはいない。毎日の当たり前の風景。
 なのに今夜の私の心の中は少し波立っている。止めよう止めようと思うのに、波はいつまでも繰り返し寄せては引いて引いては寄せる。試しに目を閉じて深呼吸。ゆっくりと吐き出す息に乗って、不安も私の外に出てくれたらいいのにと思う。特定の理由のない、漠然とした不安ほど扱いづらいものはないなぁなどという思いが一瞬心を掠める。それを振り払うため、私は軽く首を振る。
 今日一日を乗り切ればまた明日がやってくる。明日は今日になり、今日は昨日になり、そうやって私は生き延びる。一日一日を、越えてゆける。
 娘の保育園からの帰り道に見つけたあの月は、今頃何処に浮かんでいるのだろう。そう思って見上げた空、私の真上にぼんやりと、月が浮かんでいる。娘の言葉を思い出す。ママ、お月様はいいことを連れてきてくれるんだよ、魔法もかけられるんだよ、すごいでしょ。一体誰にそんなことを教わってきたのだろう、彼女の言葉を反芻しながら私は尚も月を見上げる。お月様、魔法がかけられるって本当ですか、いいことを連れてきてくれるって本当ですか。小さい声で心の中尋ねてみる。もちろん答えなんて何処からも帰ってこない。
 部屋の中に戻り、規則正しい娘の寝息を確かめて、私はお湯を沸かす。大丈夫、明日を必ず今日にする。私はちゃんと、越えてゆける。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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