2005年01月04日(火)

 耳を澄ますと、小さく遠くりんりんと音が鳴りそうな街の中、コートの襟を合わせ首を竦め背中を丸めて歩く人たちの群れ。誰も彼もが僅かに視線を落とし、それだけで少しでも冷気を避けられるのではないかと思っているかのような様子で、みな一心に歩いている。私はその人の群れの中で、ぼんやりと、そしてのっそりと動いている。
 人と会う日。それだけははっきりと分かっていた。楽しみにもしていた。女同士三人揃って、心の奥に言葉には表現しきれないような経験を抱いて、そうして笑ったり突っ込んだりできるのってどんなに楽しいだろうと、そう思ってた。だから、早め早めに時間をやりくりしていた。
 ふと鞄を覗いたら、ノートがなかった。いつも持ち歩いているノート。筆箱は持っていたけれどもノートがない。私は急に焦りを覚え、エスカレーターを駆け上がり、文具店で適当なノートを購入した。それで安心したはずだった。けれど。私は、無意識のうちに、ノートだけじゃない、カッターにも手を伸ばしていた。
 そろそろ待ち合わせ時間だよな、そう思いながら公衆トイレに入る。鍵がしまるかちゃりという音がした、それが合図だった。そこからの私の行動はあっという間だった。
 ノートでもない、万年筆でもない、一直線にカッターに手を伸ばし、私はその書いたてのカッターで右手首をざくざく切り刻んでいた。右手首を、だ。右手首は約束したはずだ。主治医と長いこと約束していたはずだった。左腕はもう仕方がない、切ってもいい、でも、左腕以外は絶対に切らないこと。私は主治医とそう約束を交わしたのだった。それは永遠に守られるはずだった。
 頭の半分が、やめろやめろと叫んでる。もう半分は妙に冷静に冷酷に、床にぼたぼたと垂れる血を嘲笑うかのように見下ろし、さぁどうやってもっとぱっくりとざっくりと切ってやろうかと考えているのだった。
 真っ二つに分かれた脳味噌の真ん中で私は、必死に手を伸ばした。携帯電話に手を伸ばし、待ち合わせをしている友人に伝わるかどうか分からないままにありのままを伝えた。ここまで来たんだから、頑張って、と彼女はそう言った。そうだ、ここまで来たんだ、ここまで必死に彼女たちに会いに来たのだ、片腕が血だらけになっていようと何だろうと、私は彼女たちに会いたい。そのためにここに来た。
 自分の左手に握り締めたカッターを取り上げるのが、正直一番しんどかった。とれないのだ、外れないのだ、解けないのだ、指を一本一本広げようとするのだけれども、解こうとする私の右手の力よりも、握り締める左手の力の方が何倍も上回っていた。そうしているうちに自分で自分に腹が立ってきて、壁にカッターを投げつけた。そして私はトイレを飛び出した。
 昨晩また救急車に世話になった折、もうこちらじゃ世話を見切れませんから、とはっきり言われた。長年かかってるという主治医に相談してください、と。でもその主治医は体調を崩し、10日まで一切連絡がとれない。その間、私はどうしたらいいのだろう。一応病院に電話を入れてはみる、が、予想通りの答えが返ってくるばかりで、私は結局途方に暮れる。
 結局、友人に付き添われ、病院へ。整形外科では長く長く待たされ、その挙句、傷口がくっつきあいすぎているから縫うことが不可能なのでテープで止めて何とか処置しましょうとのこと。さて。困ったのは、これからの日常生活。娘の食事を作るにも、頭を洗うにも何をするにも、両手を使う。濡らしてはいけません、といわれたって、どう頑張っても濡れるだろう。どうするのかなぁなんて他人事のように思いながら、私は、友人たちが待つ珈琲屋に駆けつける。
 窓の外広がる風景は、だだっぴろい空き地と、無造作に建ち並ぶ高層マンション。昔ここは空き地だった。だだっぴろいだけの単なる空き地だった。雨が降れば泥だらけになり、その泥地を選んで飛んで歩き、みんなで相手を押し倒して遊んだりもした。今はもう、そんな風景は、かけらも見ることはできないけれども。
 あっという間に時は過ぎ、彼女らと別れる時間がやってきた。またね、また会おうねと手を振り合って、右と左にそれぞれ分かれてゆく。そのとき遠くで、汽笛が鳴った。
 早く10日になってほしい。いや、実際10日になったからとて、私が主治医に何を話せるとも思えないのだけれども、少なくとも、この人はここにいて必ずここにいて、私がはなしだすことを待ってくれるのだ、と。

 寝付いた娘の寝相の大胆さを見ていると、よくもまぁこんなに動くものだと感心してしまう。一晩ビデオカメラでも設置して、大きくなったら彼女にプレゼントでもしおうかしらん。
 そう、大丈夫、明日もやってくる。必ずやってくる。そして朝が来て昼が過ぎ夕方を向かえ、そしてまた、次の朝を待つのだ。私、がんばれ。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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