2004年12月30日(木)
天気予報は雪。明け方から窓の外をちらりちらりと見やるが、雨がしとしと降るばかり。灰色の重たげな雲が空一面を覆い、朝陽はひとかけらさえ零れてはこない。私が窓の外を見やるのにも飽きた頃、娘が大きな声をあげる。「ママ、雪だ! 雪だよ!」。一体何処から落ちてきたのだろうと思うほどの牡丹雪がひらひらと舞い降りる光景。ついさっきの光景からのあまりに見事な変貌ぶりに、私は口をぽかんと開けたまま窓の外を見つめる。あぁ、雪だ。雪が降っている。
娘を連れて外へ出る。彼女は大喜びで、舞い降りて来る雪に顔を晒す。ママ、見て、目にくっついた、ほっぺたにくっついた、口に入った、もうどれもこれもに彼女は歓声を上げ、ひとつひとつ私に報告する。寒くないのと尋ねると、全然寒くない、と即座に答えが返ってくる。そんな彼女の様子に頬が緩むのを感じながら電車に乗る。
国立に向かう電車の中、私と娘は窓に額をくっつけている。見て、屋根が真っ白だよ、こっちの方がすごいよ、あっちも真っ白だ、娘の興味は尽きることがない。雪だるま作れるかなぁ、うーんどうだろう小さいのだったら作れるかもしれない、でも地面に降りちゃったらきっと雪溶けちゃうよ、どうしてそう思うの、だってみうの顔にくっつくとみんな雪溶けちゃうでしょだからきっと地面にくっついたら溶けちゃうんだよ、そうかぁじゃぁそうかもしれない、あーあ雪だるま作りたいのになぁ、うーん作りたいねぇ…。隣に座っていた老婦人が、私と娘のやりとりにくくくと笑っている。何となく目が合って、どちらともなくにっこりする。寒い季節は、隣にいる人との距離が何処か近くなる気がする。他の季節よりずっと、隣にいる誰かと親しくなれる気がする。
そして辿り着いた書簡集で、この雪の中やってきてくれた人たちと出会う。こまめに会場に通ってくれた人もいれば、遠方から時間をやりくりしてやって来てくれた人も。ひとつひとつの出会いに深く感謝。そんな人たちに私がそして私の作品たちがどれほどに支えられているのかを、改めて噛み締める。
そして。
気配がする。彼女の気配が。もうじきやって来る。もうじきここに。そう思って振り向くと、ちょうど彼女は扉の外にいた。あぁやっぱり。私の心臓は、どくんと脈打つ。
彼女と最後に会ったのはいつだったろう。もう数年前になるはずだ。その間に彼女は何度か引越しをし結婚をし、私も数度の引越しを経て離婚を経て、今を迎える。いろんなことがぐいぐい変化しているのに、彼女は私の中に刻まれた笑顔のまま、そこに在るのだった。
「あのね、このお姉ちゃんはYお姉ちゃんと言ってね、ママの命の恩人なのよ」。娘に言う。娘はきょとんとして、黙って聞いている。でも、本当にそうなのだ。この言葉に何の誇張も衒いもない。言いながら、ああようやくこうやって言うことができた、と、言葉には決して表現し得ない想いが、私の体の奥底からこみあげてくる。
あの時期、彼女が何度真夜中或いは明け方、私の部屋に飛んできてくれただろう。薬を大量に呑み、腕を切り刻んでは意識を失いひとり床に倒れている私を、彼女が何度介抱してくれただろう。なのに私が意識を戻す頃には彼女の姿はもうなくて、いつだって彼女は黙って、私を介抱するだけして黙って去ってゆくのだった。私が最後、誰にも何も告げず死のうと試みたとき、あの時も彼女は何故か察知し、夜の街を駆けて来てくれたのだった。私はそのことを、ずいぶん後になって知った。その時彼女が急ぎ過ぎて厚いガラス戸にぶつかり鼻の骨を折っていたことも、ずいぶん長いこと知らずにいた。あの時彼女が飛んできてくれていなかったら。私は死んでいたかもしれない。そう、今ここにはいなかったかもしれない。多分、もうこの世にはいなかった。
ママの命の恩人なのよ。そう言った私の言葉に、彼女がさらっと言葉を継ぐ。「そうよぉ、お姉ちゃん、ママの命の恩人なの」。多分お互いがお互いに、まっすぐに言った言葉だったのではないかと思う。けれど、私たちは思いきり笑顔なのだ。今はそうやって、笑えるのだ。そのことが、こんなにも嬉しいなんて。
作品をひとつずつ見ながら、そして制作ノートを丁寧にめくりながら、彼女が言う。顔が変わったよ、もう大丈夫だね。私も返事をする。そうかな、うん、でも、大丈夫だよ、うん。他にも人がいたからさらっと流したといえばそれまでだが、多分私と彼女二人きりでも、彼女はそう言っただろうし、私もそう答えただろう。
でも。
ここに来るまで、どれほど長い道程があっただろう。何度私は生きることから逃げ出そうと思ったか、もうこれでおしまいにしようと思ったことか、思い出すときりがない。そう、私は逃げ出したかった。もうこんな人生終わりにしたかった、荷物を背負って歩いていくには、人生は途方もなかった。でも。
ここまで来たのだ。やっとここまで来れた。さぁこれで、ようやっと、彼女とまた対等に向き合うことができる、そう思える自分が今ここに在ること、そのことがどれほど私の中で重く大切なことであったのか、私は心の中で、しっかり噛み締める。
ありがとう。ここに在てくれて。
ありがとう。再会の機会を私にくれて。
ありがとう。からからと笑いながら、またこうして一緒に時間を過ごしてくれて。
ありがとう。
帰り道、彼女がぷぷぷと笑う。いやぁなんか変な感じよねぇ。どうして。あなたがこうして子供と手を繋いで歩いてるって構図を見れば見るほど変な感じがする。ははははは。そうだよねぇ。しかももうじき五歳だなんて信じられない。私も信じられない。
大学時代、ギャラリーでアルバイトをした。その時彼女と出会った。以来、二人で何度飲み明かしたことだろう。いくら呑んでも酔っ払うということがなかった私たちは、何処までも喋り倒して時間を過ごしたのだった。私が失恋すればその愚痴話に付き合ってくれたのも彼女だったし、就職活動に四苦八苦してた頃本作りに対する情熱をぶちまけて泣いたのも彼女の前でだった。いつだって彼女はそこにいるだけで、私を励ましてくれた。いや、彼女にそんなつもりはなかったのかもしれない。でも、私は、彼女を折々に心に浮かべた。そんな彼女は、私の心の中心で、とても大きな樹として存在していた。
彼女をもう失ってしまったかもしれない。そのことに愕然とし、そしてのた打ち回った時期があった。最後の最後、彼女まで失ってしまったのか、私は。そう思った時、私にはもう何もなかった。空っぽだった。その空っぽの部屋の中、呆然と独り座って、そうしてやっと私は気づいたのだった。
私がここから歩き出さなきゃ何も変わらないという、そんな簡単なことに。
そして、気づいた。世界がもう二度と私に近づいてくれないのなら、私が世界に近づかなくちゃ、と、そのことに。
私が命を取り止めたのも彼女のおかげなら、私が再び自分で歩き出そうと思えたのも彼女がきっかけだった。そう、彼女だった。
そうして今、私はここに在る。娘と手を繋いで歩きながら、彼女とまた馬鹿話をあれやこれや飛ばし合い、けらけらと笑い合う私がここに在る。
ああ、生きていてよかった。産まれて初めて、これでもかというほど深く深く今私はそう思う。生き延びたからこそ今日がある。生き続けたからこそここに在る。今私がここにいてこうして生きているそのことに、私は、今ようやっと感謝する。
ありがとう。
娘が眠りにつく間際、ぽつんと言う。ママ、Yおねえちゃん、今度泊まりに来てくれるって。みうね、いっぱい遊んでもらうんだ。そして幾つも数える間もなく、彼女は寝息を立て始める。
娘よ、あなたの人生にどんなことがあるのか、誰にも予想することなんてできない。でも、どんなことがあっても生き続けて欲しい。どんなに血反吐を吐くことがあっても生き続けて欲しい。その先にはきっと。
そして、どうか、人との緒を大切にしてほしい。信じてほしい。人は人によってずたぼろに傷つけられるけれども、同時に、人を癒すことができるのもこれもまた人なのだということ、人間という字は、ヒトのアイダと書くその意味を、どうか見失わないでほしい。
私が君にもし望むことがあるとすれば、ただそれだけだ。死が迎えにくるその日まで、生き続けて欲しい。そして信じてほしい。どんなことも超えてゆけないものはないということを。
窓の外、小さな小さな星が今、瞬く。
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