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五百字 85.、86.

85.
 最近保育園に娘を迎えに行くと、出てくるなり彼女が
必ず言う言葉が在る。「アンパンマンいるの」。今出て
きたばかりの教室の方を指差して繰り返す。私はとりあ
えず、「そうなの、アンパンマンいたの」と笑って返事
をしていたが、心の中ではちっとも信じていなかった。
保育園にアンパンマンがいるわけないし、もしビデオで
見ているにしたって毎日見ているわけはないんだから。
きっと彼女はよほどアンパンマンが好きだからこんなこ
とを言っているんだな、と。そう思って、かわいい奴だ、
なんて微笑していた。
 が、違ったのである。アンパンマンは本当にいたのだ。
或る日娘の言葉に気づいた園の先生が「そうね、アンパ
ンマン見てたのよね」と言った。慌てて私が尋ねてみる
と、子供たちはアンパンマンが大好きだから、毎日終わ
りの時間にアンパンマンのビデオを見ているのだという。
 あぁ、なんてこった。私ははなっから信じていなかっ
た。情けない。娘がもう一度繰り返す。「アンパンマン、
いたの」。だから、今度こそ私も心から頷く。「ほんと
だねぇ、アンパンマンいたね」。娘よ、今までごめん。
もう二度と侮ったりしないよ。





86.
 子供を持つということがどういうことなのか、子供を
持つまで全く分かっていなかった。子供を産んで育て始
めて二年が過ぎ、ようやく最近思うことがある。他人が
どうだか分からないが、私にとって子を育てることは、
記憶もおぼろげな自分の子供時代を生き直すことだ。
 例えば子供がぐずってべそをかいている。その時私は
彼女の向こうに、べそをかいていたかつての自分を見つ
ける。だから私は、娘を抱き上げながら、向こうにいる
自分のこともよいしょと抱き上げる。こんなふうに親に
抱き上げてほしくてよく泣いていたっけ、と思い出しな
がら。
 子供を持つまでは不安だった。私は父母とうまくいか
なかったから、自分の娘との関係もうまく築けないんじ
ゃないかと。もしかしたら笑ってる娘を見、嫉妬を感じ
てしまうんじゃないかとさえ思った。
 でも、今、現実に娘を育てていて、自分がやわらかく
満たされてゆくのが分かる。娘を抱きしめることで、同
時に私は、見たされなかったかつての自分を自分で抱き
しめ慰めてやれる。子は希望だとどこかの作家が言って
いた。そうなのかもしれないな、と私も思う。

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