2004年06月07日(月)
土曜夜半から、雨が一心不乱に降っていた。ついさっきまで。それは、見惚れるくらいに充実した、玉簾のような雨だった。窓を開けると、目には見えぬ雨の匂いが、ぷうんと鼻腔をくすぐった。玉簾の向こうで、樹々や街燈がしんしんと立っていたその姿を、今もはっきりと私は覚えている。
時々慌てることがある。気づくと赤信号を渡っていて、盛大なクラクションを浴びる。理由は簡単で、私の中の映写機が故障したらしいということ。ストップさせようにもボタンが何処にも見当たらず、延々と映像が流れ続けているのだ。もうとうの昔にフィルムは途切れ、パタパタと音をさせながら回っているだけだというのに、それにもかかわらず、映像が流れ続ける。何故なんだろう。
その中には、私もいる。だから私は、常に私を俯瞰しているような状態。私はここにいるはずなのに、何処かがずれている。私は私であるはずなのに、私は私ではないという方程式が同時に成り立ってしまっているかのような。
そしてまた、その映像の実に鮮やかなこと。だから私は、現実の視界より、映像の方に気を取られてしまう。そして気づくと、私は赤信号を渡っていたりするのだ。
これが、自ら想像しているという、自分自身の意志のもとに為されているのなら、ずいぶん事情も異なって来るのだろうが、それが違うのだ、私自身は想像も空想も、これっぽっちもしようとは思っていない。にもかかわらず、私の中の映写機は延々と回り続け、映像が映し出され続けている。
そんなんだから、この頃は、私の視界と映像とが合致するのは、娘と一緒にいる時間だけになってしまった。彼女はまるで文鎮のようだ。ふわふわひらひら風に飛ぼうとする半紙の私を、ただそこに在るというだけで彼女は私を引き戻す。彼女といる時間だけは、だから、間違いなく、時計とともに私の時間が流れてくれる。まったくもって、彼女のその存在感の確固とした大きさ重さに、私はただただ感服する。彼女という現実の塊は、私には何者にも代えがたく、強烈である。
彼女がいないとき、どうにも不安になったら、私はいつもの窓から樹々と街燈とを見やる。そこには、私の中がどんなに混乱していようと、変わらない現実がある。重さが在る。私はだから、彼らを見つめ、話しかける。話しかけていると、少しだけ、現実と、世界と、繋がっている緒を触ることができたように感じられる。
この間、修理に出しておいてもらったカメラが治って届いた。このペンタックスSP-Fは、私が写真を撮り始めた当時からの伴侶だ。このカメラで私は初めて写真を撮った。腔を撮った。今、このSP-Fの後、迷いに迷った挙句に買ったNikonのカメラを使うことが、最近は確かに増えてきたけれども、それでも、握っただけで私を初心に立ち戻らせてくれるのは、このSP-F以外にはない。この先また壊れても、寿命が来ても、私は、このカメラだけは常に身近に置いておくのだろう。それはもう確信に近い形で、私の中に在る。
私が何故写真を自らの術としたのか、私が何故そういった表現方法を必要としたのか、そういったことを丸ごと背負っていてくれるのが、このカメラだ。他人には大げさに聞えるだけかもしれないが、私には彼はかけがえのない存在なのだ。
かつて世界はいつだってこの目に見えて、そして触れることができるものだった。その世界が崩壊したとき、木っ端微塵に壊れたとき、私は自分の手で、世界を再構築させる必要があった。もう一度自分の世界を、自分の手で、組み上げなければならなかった。
今でもその作業は、多分、続いている。
また空が曇ってきた。鼠色の濃淡の強い雲が、厚く厚く、西空から流れてくる。なのに南の空のひとかけらだけ、雲がすこんと抜けて、向こうの青い空が丸見えになっている。鼠色の厚い雲の向こうに確かに青い空が在る。そう、どんなときだって、そこには青い空が在る。
私のこの、あやうい空の向こうにも、きっと、誰かと繋がる空が在る。
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