2004年10月05日(火)

 降り続く雨。真夜中を過ぎた今も、雨は止まない。夏の間中、風で右方向へ傾いでいた街路樹が、昨晩から左方向へ傾ぐようになった。街灯に照らされる何枚もの葉裏。それはなんだか、幾つもの人の手のように見える。南へ南へ。傾ぐ樹々。
 灼熱地獄のような夏が過ぎ去ったと思ったら、突然夜気が冷たくなった。朝の冷気も、足元からじわりじわりとやってくる。それは私の心をとくんと脈打たせる。もうじき冬が来る。その予感が、私を脈打たせる。
 今朝ベランダに出ると、そこに嬉しいものを見つけた。桃色の薔薇の蕾だ。いや、桃色と表現しても充分ではない、その色は澄みきった朝の風にとても似合う、やわらかな、同時に透明な色だった。挿し木して一年半が過ぎる。その木がようやく一つの蕾をつけたのだ。指先でそっと蕾の先を触ってみる。冷え切った蕾が、私の指先から私の内へと伝染する。意識を集中させないとすぐに失ってしまうような微かな痺れが、指先の一点から、私の内へ内へ伝わってくる。それは新しい息吹の歓びの唄のようで。私はどきどきする。なんだかそわそわしてくる。新しい息吹が自分のすぐそばで息づいている、それだけのことかもしれないが、その蕾の存在が、私に自分が今生きていることを教えてくれる。
 病院でこの一週間のことを話す。表情がまるで自分とかけ離れたところにいるように感じること、繰り返し現れる夢のこと、二つに引き裂かれる心と同時に遠く離れた場所にいる見えない何かのこと、本を読もうとしても文字が認識できないこと、日記を書き始めるものの自分の書き出す文字がどうしても言語として認識できなくなってしまうこと、「私」というものがとんでもなく遠くに放られているように感じること。思いつくままに話す。話しながらも自分の中心軸が果たしてこの場所で良いのかどうか、私には全く自信がない。けれど、ここで口に出して自らそのカタチを再確認しないかぎり、私は前に進めそうにない。だから、懸命に一言一言を噛み締めながら話す。
 病院の帰り道、私は、少し楽になっている自分を見つける。いや、楽という言葉が当てはまるのかどうか。私は疲れきって、正直へとへとになって自分の部屋に戻り、普段決してしない、昼間から布団につっぷして横になるという行動をとってしまうのだけれども、でも、その分だけ、私は、自分の中心を手元に引き寄せられたような、そんな安堵感がある。
 そして今朝のことを思い出し、私はもう一度ベランダをのぞく。
 幾つも咲き誇る白薔薇の陰で、ひっそりと佇むピンク色の蕾。それは、私にこの花をくれた人がすでに私にその花束を贈ったことなど忘れ去っても、ちゃんとここに在るよと、私に教えてくれる。その人への、あの時のありがとうという私の気持ちを、いつまでも胸に持ってここにいるよ、と、蕾は小さい声で私に伝えてくれる。かつて誰かが私に贈ってくれた花、かつて誰かが私と繋がったその時。どんなに時が往き過ぎて、人の記憶が風化しても、ちゃんとここに在るよ、と。かつてただの一瞬であっても、私が世界の誰かと繋がった証に。
 私はじっと見つめる。ピンク色の蕾。ただじっと。
 そうだ、私がどんなにひどい離人感に苛まれようと、私はちゃんと世界と繋がっているのだ。世界と繋がった一個の存在であるのだ。それを忘れちゃぁいけない。私はもう一度朝のように手を伸ばす。手を伸ばして、右手の人差し指でそっと、蕾の先に触れてみる。大丈夫、まだやれる。私は大丈夫。

 降り続く雨。真夜中を過ぎた今も、雨は止まない。降りしきる雨。私の心臓は今も、そう、ちゃんと動いている。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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