2005年02月16日(水)
鴎が集まる信号機を右に見上げながら、駅までの道を急ぐ。海へと注ぐ川面はさざなみだって、黒々とその姿を横たわらせている。時折声を上げながら飛び交う鴎。一羽がこちらにやってきて、二羽がぐわんと曲線を描きながら海の方へ飛んでゆく。
込み合う電車の中、いつもなら活字に逃げるのだけれども、今日はあまり本を広げる気がしない。隅の席が空いたので座り、窓にもたれかかりながら目を閉じてみる。電車の振動が今日はやけに心地いい。
そうやって外出し、家に戻る頃には、日はすっかり傾いており。でも玄関を開けて滑り込んだ部屋の中は暖かい。多分日差しが部屋の中を暖めていてくれたのだろう。部屋が暖まるほどに、もう日差しはぬくみを取り戻しているのか。窓を開けて、外の空気をひとつ、深呼吸する。
お風呂から上がり、着替えを済ませ、娘の好きなビデオを30分だけ見て横になる。昼間ずっと思っていた。今日は一緒に寝ない。彼女が眠りにつくまで、彼女に呼ばれれば彼女の隣に横にはなるけれど、それ以外は彼女から離れて過ごす。そう決めていた。「ママ、足が痛い」。また成長痛らしい。彼女の右足をさする。「ママ、背中がかゆい」。クリームは塗ったはずだけれどと思いながら、彼女の背中を軽くかいてやる。「ママ、やっぱり足が痛い」。はいはい、じゃぁ足をさすりましょうか。
途中でいつものにょろにょろが始まる。「ママ、にょろにょろやって」。にょろにょろというのは、私の左人差し指を使ってのお話のことだ。この人差し指を動かす仕草が、何となくにょろにょろという言葉を想像させるので、私と娘はいつも、にょろにょろと言う。それで通じる。「えー、だって今日はもうにょろにょろやらないって言ったじゃん」「でもにょろにょろやって」。仕方なく、適当に頭の中で考えた即興話を、にょろにょろを使って話してやる。「はい、終わり。さぁ今度こそ寝てちょうだい」。「ママ、足が痛い」「はいはい」。そうやってひたすら彼女の足をさする。
気づいたら、彼女は眠っていた。毛布から飛び出した手足を、そっと抱えて、布団の中にいれてやる。そして私は、自分の為に紅茶を入れる。
ただそれだけのこと。
ただそれだけのこと。でも。
私はとても嬉しかった。彼女が眠ってくれたことが嬉しかった。眠るまでの間に彼女に辛い思いをさせないですんだだろう今夜が、とても嬉しかった。それをこの自分が為せたことが嬉しかった。思わず友人にメールする。あのね、未海、眠ったよ。友人から返信が届く。よかったね、あなたも休むんだよ。ありがとう、と返事を書き、私はメールソフトを閉じる。
紅茶を飲みながら、口元が自然に緩んでいる自分に気づく。こんなにも嬉しかったのかと思って、一人恥ずかしくなる。たったこれだけのことで、こんなにも嬉しいということを、一体どうやって表現すればいいのだろう。よく、分からない。
そして、彼女を今夜無事に眠らせることができた、そのことが、私の奥底で、小さな自信になって芽吹いてくるのを、私は感じる。
ただそれだけのことなのに。
離婚後まもなくのこと、再婚話が持ちあがった。今付き合いのある友人の中で一番古い友人の一人が、プロポーズしてくれた。とても嬉しかった。でも私は、いろんな事情から、最後の最後、断った。そうして今日が在る。
様々な事情が絡み合って、私が最後自分で結論を出したことだけれども、結論を出してから少しの間、揺れる思いがあった。これを逃したらもう、こんな機会はないんじゃないだろうか、と思った。自分から手放してしまって本当によかったんだろうか、と。でも、何度そう思っても、結論を変えることは、私にはできなかった。
今も、あのことを思い出すと、ちょっともったいないことしたなぁなんてことを思う。けれど、あれでよかった、と、納得している自分が、何よりも何よりもここにいる。
あの時もし、あのまま再婚を選んでいたら、私はきっと、自分で立つことを見失ったまま、誰かによりかかってしか生きることができない人間になっていただろう、そう思うのだ。
事件が起きる前、私は自信に満ち溢れた人間だった。どんな時も、自分の力を信じて疑わない、そんな傲慢なところがあった。いい意味でも悪い意味でも。いや、正確に言うと、事件よりもっと前、最初に入学した高校を辞めることになるまで、私はそんな人間だった。だから、自分ができて他人ができないということを、何処かさげずむようなところがあったと思う。こんなこと、どうしてできないの、こんなに簡単にできることじゃないの、と。周りの大人たちに何度言われたことだろう。「もっと周りの人にやさしくならないと、いつか自分の命取りになるよ」「自分ができるからって他人もできるとは限らないんだよ」。恥ずかしいが、私はそんなことを言われるたび、頭では聞いていたけれども、心では聞いていなかった気がする。本当の意味で、理解していなかったんだろう。今はそう思う。できないその人が悪いとぐらいに、考えてしまっていたのかもしれない。
そして、少しずつ少しずつ足場が崩れ、最後、あの事件を契機に、今まで生きてきたことの地盤全てが崩壊したとき、私は、それまで生きてきて得てきた自信というものを丸ごと、失った。
自信を失い、自分の地べたを失い、初めて、それがどんなに恐ろしいものだか、私は知った。
自信を失ったまま、私はこの十年を生きてきた。一度失った自信を再び得ることが、こんなにも困難なことだとは知らなかった。何をしても自分は駄目な人間だと思える。穢れた人間だと思ってしまう。自分になど生きる価値はない、存在価値は何処にもない、そう思えてしまう。
だから、いつだって誰かの影に隠れて、こっそり生きるしか術がなかった。もう世界とまともに顔を合わせる自信もなければ、誰かと向き合う自信も私にはなかった。できるなら一生涯、何かに隠れていたかった。恐ろしかったから。もう二度と、同じ思いはしたくない。同じヴィジョンは見たくない。だからもう、誰かの影に隠れているしか、術はなかった。
これだけのことできるのだから自信を持ちなさい、自分の力を認めてあげなさいと、一体何度、友人や医者に言われたことだろう。言われても言われても、私には届かなかった。一体この私がどうやって自信を持てるというのか、そんな簡単に言わないでくれ、一体私の何処に価値があるんだ、こんなんで自信を持てって言われたって無理だよ、と、そうやって私は全ての声に耳を塞いだ。
離婚することで、私は、世界に、社会に、現実に対して、自分自身がちゃんと向き合い、付き合っていかなければならない立場になった。離婚を決意するときに一番私が苦しんだのはそのことだった。一体こんなになった私にそれができるんだろうか。それが一番不安だった。できそうにないやと、尻尾を巻いて逃げることばかり考えた。でも、離婚を選ぶしか術がないという答えを自分で自分につきつけたとき、もうどうやっても、逃げ道はなかった。
恐い。恐い。恐い。その思いが何度も私を呑みこんだ。耳を塞ぎ目を閉じて、この世界からもう逃げ出してしまいたかった。でも。
その私のすぐ横に、娘がいた。娘は何の迷いもなくにっこりと笑っていた。彼女のその笑みを見、私はもう、逃げられないところに自分がいることを、思い知った。そうだ、私には守らなくてはならない存在が在る。こんなことしてる場合じゃぁない。
おっかなびっくり、立ち上がろうと動き始めた私を、一生懸命支えてくれたのは多分、誰よりも、あの両親だ。一緒に暮らしていたころ、あれほど争い傷つけ合うことしかできなかった両親が、ここに来て私を支えてくれた。事件に纏わる出来事の中で敵対し、もう二度とお互いに交わることはないだろうと縁を切ったはずの両親だった。彼らは、離婚しようと決意した私に対し、私に直接何かをするというのではなく、私の娘をひたすら受け容れる、愛してゆく、という形で私を支えてくれた。そんな両親の愛の形に、私はどれほど安堵しただろう。安堵して、そして、今ここで立たなきゃ一生私は立てないということを私は同時に悟った。もう逃げ場はないという現実が、私の背中を押した。
今だって、私はおっかなびっくりだ。何かあると体が勝手に強張ってびくっと震えてしまう。人が恐い。もしかしたらこの人も突然あの加害者のように掌を翻して私に襲いかかるかもしれない。そう思うともう、何もかも投げ捨てて絶叫したくなる。でも多分、その程度のことは私に限ったことじゃぁないだろう。また、何かの折に映像がフラッシュバックして、吐き気を覚え、トイレに駆け込むことは確かにある。が、それだって何も、私に限ったことじゃぁない。私と同じ体験を経た人たちなら、多分誰もが似通った症状を抱えているだろう。このくらい、どうってことない。共に生きていこうと思えば背負えない荷物じゃぁない。
それよりも。
もし私があのまま世界に目を閉じ耳を塞ぎ、一生誰かの影にかくれて生きてゆく、そんな姿を娘に晒し続けていたら、もしかしたら彼女は世界を信じることができなくなるかもしれない。そのことが、私を戦慄させたのだ。そんなバカなことってあるか。そう思った。そんなこと、絶対に厭だった。
だって。本当は世界はいつだって誰にだって開かれているんだ。
彼女に一番多く接するのは私だ。私という大人を通して彼女はきっと世界を見つめる。もちろん彼女が年頃になれば、彼女は自分の判断で自分の歩みを始める。そうなったら私なんてあまり関係ないかもしれない。でもそれまでは、間違いなく彼女は私を、一番近しい一人の人間として、私を通して世界を見るに違いない。だとしたら。その私が世界に怯え慄いていたならば、彼女はきっと、世界を恐ろしいもの、とても恐いものとして捉えてしまうのではないだろうか。そんなことは、いやだ。
ただそれだけのこと。今夜彼女を穏やかに眠りにつかせることができたのは、まさに、ただそれだけのこと。けれど、それは今の、自信というものをすっかり失った後の私には、とてつもなく大きなことに思えた。こんな私にもできることがあるのか、と私が実感できた、そのことは、とてもとても大きなことだった。
そうか、こんなずたぼろの存在価値も殆どないだろう私にも、やろうと思えばできることがあるのか。紅茶を飲みながら、私は自分に言ってみる。よかったじゃん、やればできるじゃない、私も。
今日、外では雨が降り続けている。時折白いものが混じる。窓を開けていると、足元にじわじわと冷気が手を伸ばす。椅子から立ち上がり、私はベランダから外を眺める。通りに並ぶ街路樹はすっかり濡れて、その樹皮は黒々と滑っている。目を閉じると車の行き交う音が耳に響く。遠くからサイレンの音。何処かで火事でもあったのだろうか。消防車が二台行き過ぎる。
空には鼠色の雲がずっしりと横たわり、当分流れてゆきそうにない。雲が垂れ込める夜の闇は、何となく白くけぶっている。今晩もきっと、闇は淡いままだろう。多分それは、今の私の心持ちと似ている。
どんなことをしても得られなかった感覚。自信に満ち溢れてそれが当たり前と思って生きていた頃には決して味わうことのなかったこの感覚。何なんだろう、これは。不思議でしょうがない。
ひとかけらの自信。ひとつのことを自分の力で為すことができたという自信。それは他人からみたらこれっぽっちのことかもしれない。もし私が誰かに話しても私のこの嬉しさなんて伝わらないかもしれない。一体何をあなたは話してるのと苦笑されるだけかもしれない。自分でも、ただこれっぽっちのことで何をこんなに嬉しくなっているのだろうと恥ずかしくなる。
でも、そんなものなのかもしれない。たったこれっぽっち。これっぽっちの積み重ねが、もしかしたら少しずつ少しずつ大きくなっていって、私の大地をもう一度、耕してくれるのかもしれない。もし私があの事件にも遭わず、他にもいろいろな紆余曲折を経てこなかったら、自信というものが一体どんなものであるかなんて知ることもなければ、省みることもなかっただろう。今は思う、自信というものは、人が生きる為に必要な、とても大切なものなのだなということを。
今夜娘は、眠る前に何曲も何曲も歌を歌ってくれた。もういい加減眠ってくれよと心の中で思うと同時に、さて何処まで自分はこの子の寝る前の儀式に付き合って笑っていられるかな、と、可笑しくなっている自分もいた。そんなふうに、私も少しずつ練れてゆくのかもしれない。
気づいたら、雨は止んでいた。今窓を開けていると、しんなりと湿った空気が私に触れてくる。それは冷たいというよりもぬくい指先。そのぬくもりはまるで、これからやって来るだろう季節の予感を孕んでいるかのよう。この雨の向こうに春が待っている。この雲の向こうには太陽が待っている。どんな未来であっても、きっとそれらは私たちを待っている。両手を広げて。
そう、明日は誰にでも平等に、やってくる。
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