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個展「緒~娘への讃歌」より(展示一部)

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展示「緒~娘への讃歌」に寄せて

私たちは戦友だ。私はそう思っている。

君を産む前に私は既に性犯罪被害に遭いPTSDや解離性障害を患っていた。私はだから君を産む前とても不安だった。こんな私を君は受け容れてくれるだろうか、と。でも君は、「普通のお母さん」とは違う私が自分の母親であることを自分の当たり前として受け容れ、いつも私に笑いかけてくれた。
君が生まれて間もなく、私はシングルマザーになった。そうして私が再婚するまでの約十年の時間を、私たちはふたりきりで過ごしてきた。それは長かったようなあっという間だったような、不思議な時間だった。
私が君とふたりきりになったばかりの頃、私はまだ写真を始めたばかり。写真を撮りたい、写真を作りたい、という気持ちばかりが沸き上って来ていた。でも、君はまだ幼く君を置いて撮影に出かけるわけにもいかず。だから私は考えた。考えて、見つけた答えは。君を撮ろう。ということだった。

それからの日々。折々に私たちはカメラを挟んで向き合ってきた。今省みると夥しい数のプリントが存在する。どれも君ひとり写った写真だ。でも。こちら側には私がいて。だからこそ君がここに焼き付けられたことを、写真は教える。つまり、写真とは関係性の芸術であることを、私は君と向き合うことで気づかされた。
私がリストカットを繰り返す日々、君はただそこにいた。そこにいて、目が合うとにっこり笑い返してくれた。
私がフラッシュバックに苦しむ日々、君はただそこにいた。そこにいて、黙って手を握ってくれた。
私がそんな君の存在にどれほど救われていたか。それはもう、言葉などで言い尽くすことはできない。

私が再婚し、君にとっての弟を私が出産後しばらくして、君は荒れ始めた。その様はまさに言葉通り、坂道を転げ落ちるかのようだった。つい昨日まで笑っていたはずの君の表情が、見る間に強張り固く閉ざされてゆくのを、私は呆然と見ているしかできなかった。そんな自分が歯がゆくて歯がゆくて、私は自分を責めることしかできないまま、ただ時が過ぎた。どんどん遠ざかってゆく君の肩を、私は何度駆け寄って抱きしめたかったことか。でも。
できなかった。できないまま、君はあっという間に、手の届かないところへ行ってしまった。もう、どう君に触れたらいいのか、言葉をかけたらいいのか、何も思いつかない。思い出すこともできない。そんな日々だった。
今でも思う。あの時死に物狂いで、それでも君を抱きしめていたら何か変わったろうか。君を止められたろうか。
でも、果たしてあの時止めることが君にとってよかったのだろうか。どうなんだろう。一体、どうすればよかったのだろう。
問いは問いのまま、永遠に私の中に、在る。

君よ。
君と過ごした日々は、助け合い傷つけ合い、これでもかというほど濃密で親密だった。あの時間はきっと、私にとってかけがえのない宝物になる。君にとっては? いつか君に尋ねてみたい。君にとってあの時間はどんな時間だったか、と。いや。
もうそんな問いは、必要ないのかもしれない、と、最近そう思うんだ。君が今、幼娘と共に懸命に生きている姿を見るにつけ、もうそんな問いは必要ない気がしている。だって。

君が笑ってる。今、君が笑ってる。それが、答え、だ。

                     2020/06 にのみやさをり

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※6月8日から20日(日曜日定休)
cafe nook
〒151-0053 東京都渋谷区代々木1丁目37−3 岩崎ビル B1

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