2005年01月27日(木)
26日。昨夜から続いた雨は昼前に静かに止んだ。窓の外、行き交う人は疎ら。先ほどまで咲いていた傘の花は姿を消し、冷気に首を縮めた人たちがぽつりぽつり行き過ぎる。
出掛ける前のおまじない、香水を一吹き首筋と手首に。大丈夫、きっと大丈夫、辿り着ける。繰り返しそう心の中で呟いて、私は自分に暗示をかける。大丈夫、きっと辿り着ける、ちゃんと帰ってこれる、大丈夫、私は大丈夫。
電車に乗り、窓の外を流れる景色を眺めるでもなく眺めている。矢のように後ろに飛んでゆく幾つもの景色。見覚えのある風景。遠い昔通っていた病院の駅を一つ越えて、私は大きな病院の入口を潜る。
今ここに入院している彼女は、改めて省みるとそんなに親しい友人ではない。一度写真を撮らせてもらったことがあるものの、あとは数える程度の手紙のやりとりのみ。なら何故こんな場所まで私がお見舞いに来るのだろう。よく分からない。けれど、彼女が再び入院するという話を耳にした折、今度は必ずお見舞いに行きたいとそう思った。そして今日私はここに在る。
確かに彼女と私はそんなに親しい間柄ではない。けれども。
彼女と私は、似通った体験をひとつ、共有している。そういう意味で、友人というよりも同志という感覚が最も近い。あんな体験を経てもなお、今日まで生き延びている同志。そう、同志。
彼女は私よりも前に被害に遭った。数えると彼女は今年十五年、私は十年を経ることになる。他愛ない世間話の後、ぽつりと彼女に尋ねてみる。
「この間手紙くれたでしょ? 時薬は効いていますか、って」
「うん」
「あなた自身は効いてると思う?」
「…うん」
「そっか…」
それでも彼女はいまだに、度重なるフラッシュバックに襲われ、それは日常生活を営むことにさえ影響が及ぶほどなのだ。私は、彼女をこうして前にして、自分にとって時薬とは何なのだろう、私たちにとってそれは、確かに効いていると言えるのだろうかと、心の中反芻せずにはいられなくなる。似通った体験を経て生き延びてきていながら、彼女と私は、今、大きく隔たっている、そんな気がする。
彼女と私は似通った体験を経てきた。でも、その後の過ごし方が多分、ずいぶん違っている。そのひとつは、この己の体験の外界への晒し方だったのではなかろうか。
私は、最初の頃こそ友人にも親にも告げることができず、なおかつ、自分はこんな体験を経ても大丈夫だ、何ともない、いや、そもそも何事もなかったのだ、と、自分に暗示をかけて必死に走ってきた。けれど事件から一年を経る頃、その姿勢はぼろぼろに崩れ、結局、友人にもそして親にも、私はこんな体験を経てしまったんだ、だから私はもう生きるのさえ辛いのだとぶちまけ、いや、やつあたりをしてきた。私事にたくさんの人たちを巻き込んで、大騒ぎして、そして私は一時期、己の悲しみや苦しみにどっぷり浸かった。もうその沼から立ちあがることはできないのではないかと思うほど、どっぷりと浸かった。穢れているとしかみなせない自分と折り合いをつけるために自らの体をこれでもかというほど傷つけ、そのたびに大切な友人たちを悲しませ、痛ませ、私はそうやって生き延びて来た。
けれど彼女は。彼女は、今夫として在る人と主治医にこそ告白したものの、他には口を噤んだ。彼女は自分の親や友人たちを決して巻き込むことなく、ひたすら自分であの体験を抱え込み、必死にここまで生き延びたのだ。それだけじゃない、彼女は自分の周囲にいる傷ついた人たちを助けることを仕事としてきたのだ。自分のあの痛みを自分の奥底にひた隠して。
私は周囲を巻き込んだ。一方彼女は周囲からその体験を隔離した。どちらがいいとか悪いとかの問題じゃぁない。たまたま私は右を選択し、彼女は左を選択したというだけだ。でも、私は周囲を巻き込んだことによって、友人にその体験に纏わる悲しみや痛みをあけすけに語る機会を得た。もちろんそのせいで何人もの大切だった友人を失いもしたけれども、それ以上に、外へ語るというそのことがどんなに私を救ってくれただろう。一方彼女は、自分のうちにひた隠すことで、どんなに胸が張り裂けそうに痛み、それはやがてたくさんの膿を孕んだに違いない。
今、彼女を前にして、私はふと思うことがある。
人は、とてつもない体験を経た後、ただひたすら悲しみ苦しむ時間が必要なのではないのか、と。誰の目もはばからず泣きたいなら泣いて、心が張り裂けそうならば張り裂けそうなのだと声にし嘆き、ただひたすら、己の悲しみや苦しみや痛みにどっぷり浸かって過ごす時間が必要なのではないのか、と。そうした時間を経てこそ、人は、その悲しみや痛みから立ちあがることができるのではないだろうか。そして、でき得るならばその悲しみや痛みを、あけすけに語り合うことのできる誰かという存在を持つということが、どれほど重く大切なことであるか、と。
「テレビのニュースとか見てると、たまらない気持ちにさせられるよね」
「奈良の小学生女子児童殺害事件とかあったでしょ」
「うん、あれね、ニュースがテレビで流れると、私、チャンネル変えちゃう」
「私も同じ。痛くてたまらなくて、これ以上見ていられなくなる」
「性犯罪者の再犯の話もさ…」
「ああ、あれね、今更って思ってすごい腹が立った」
「ああ、私も同じだよ。何今更言ってんのよ、ふざけんなって思った」
「頼むから、警察くらい把握しといてほしいって切に思う」
「うん、私も」
「ほんと、耐えられないニュースが多すぎるよね」
「…ねぇ、あの体験を過去にすることなんて、できないよね」
「うん、できないね」
「できることがあるとするなら、それを引き受けて生きていくことくらいだよね」
「うん」
「思い出しても平気になる…いや、平気なんかにはなれないんだけど、でも、たとえばフラッシュバックが起きても何しても、「いつか終わる、終わりがくる」って信じられるようになるというか、この嵐もいずれやむことを信じられるようになる、みたいな…」
「うん、いつか…」
病院の出入口で彼女と手を振って別れ、私は帰りの電車に乗る。娘を迎えにいくまでの道程、私は彼女のこと、そして自分の十年という時間をつらつらと振り返る。
思えば、去年一年は、特に幻覚と悪夢、そして離人感に悩まされた一年だった。眠れない夜闇の中目を開くと、この世に存在しない筈の異様な姿をした虫が私の視界でぞろぞろと蠢き、その恐怖から逃れようと必死になって眠れば眠るで、あの事件に纏わる光景が夢となって洪水のように押し寄せ、毎晩のように私は息切れした。そんな夜闇を越えて日の光を浴びる頃には、今度は自分から遊離した感覚に苛まれ、今手を握ったこの手さえ自分のものではないかのような頼りなさを四六時中味わった。自分は自分であって同時に自分ではない、私の目は私の体から離れて宙吊りになり、今この宙を漂っている、常に自分の体の後ろから自分を眺めている、何か起こってもそれは全て他人事、というような。世界との一体感をこれ以上失いたくないという私の必死の願いは、往々にして裏切られた。それでも私は、諦められなかった。必死になって世界の袖に縋った。そうやって生き延びたから、今日、今、ここにこうして私は在る。
そんなことを思う間に、電車はどんどん進んでゆく。今電車は河を渡り、私の住む町へと近づいてゆく。いつのまにか窓の外はたそがれて、街の輪郭は、闇の中に徐々に沈んでゆく。今もしあのビルの上からこの電車を見たならば、きっと光の帯に見えるのだろうな、と、そんなことを私は思う。
1月27日。これが私の、あの事件から数えて十年最期の日だ。それを一歩越えたら、私はその瞬間から十一年目に足を踏み出すことになる。
十年。長かった、同時に短かった。あのことは今もありありと、いや、日々鮮やかになって私の脳裏で閃く。その鋭く明滅する光に目をやられ倒れることもあるけれど、でも私は生き延びて、しっかり今日を生きている。途中で何度、死んでしまおうと、いや、この穢れた存在を消去してしまおうと思ったことだろう、何度それを試みたことだろう、それでも私は生き延びてしまった。
最近思うのだ。そうやって生き延びた私に何ができるのだろう、と。
こんな、米粒にも砂粒にも満たないこれっぽっちの存在の私だけれど、ここまで生き延びて来たそのことが私に、おまえの役目は何かとその意味を省みさせる。
今何処かに、性犯罪に遭い今にも潰れてしまいそうになりながら日常と戦っている誰かがいるのなら。その誰かに私は伝えたい。これ以上自分に鞭打たなくていい、泣いてもいいんだよと、嘆いてもいいんだよ、痛んだっていいんだよ、と。日常を毎日を越えてゆくのはどれほど辛いだろう、痛いだろう、それでも、どうか生き延びてほしい。周囲に言われて無理に自分の体験を過去にしようなんてする必要はないし、痛いのに痛くないと言って唇を噛む必要も今はない。今あなたが膝を抱えひとりぼっちで部屋の隅でうずくまっているのなら、想像して、私が隣にいるって想像して。私がそこにいる間はあなたは自分を裏切る必要なんてないから、泣きたくても泣けないなら私が代わりに泣くから。痛いのに痛いって言えないのなら私が痛いって言うから。あなたは決してひとりぼっちじゃぁないってこと、どうか忘れないで。そのことだけは、どうか忘れないで。そして、必ず生き延びて欲しい。どんなに体を傷つけてもいい、それでも、自分はきっと生き延びるんだということを心に持ってほしい。生き延びて生き延びて、ふざけんなどうしてこんなめに遭いながらも私が生き延びなきゃならないんだって思ってもそれでも生き延びて、そうしたらいつか、出会えるかもしれない、本当に出会えるかもしれない、あなたと私。もし途中であなたが死んでしまったら、私はあなたに会うことができない。だから、どうか生き延びて。あなたは生き延びて、世界を深呼吸する権利がある、それだけの価値がある。あなたという存在は唯一無ニなんだ。かけがえのない存在なんだよ。
夕飯を作りながら思う。彼女が退院したら退院祝いをしよう。その後でまた彼女が入院するようだったらその時はもちろんまたお見舞いに行こう。そしてその後の退院の時には何度でもお祝いしよう。私は彼女を励ましたり何したり、そんなことできやしないけれども、そんな私にも唯一できることが在る。それは。
私がここにいてここで生き続けているという事実だ。
いつ彼女が振り返っても、私はここに在よう。大丈夫、私は今日もここで生きて在るよ、と、そのことを伝え続けることなら、私にできる。だから。
私はいつ誰かが振り返ってもいいように、ここに在よう。ここにいて、今を生きよう。大丈夫、死がおのずから私を抱きとめるまで、私はここに在る。大丈夫、私は今ここに生きているよ、と。そのことを私は、伝え続けたい。それはきっとこれっぽっちの存在でしかない私にできる、唯一のことだ。
だから、心の中、私は今日も繰り返し呟く。
今あなたは何処にいますか、生きていますか。
大丈夫、私は生きている。ここに在るよ。あなたと同じ空の下、ここに在るよ、と。
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