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バースデイをあなたに

これは以前に私があるグループで書いたものです。ふと思い出してここに再掲します。以下の文章を書いている当時、ある友達が音信不通になりました。1年半ほど前です。彼は闘病してて、毎日4度のメッセージと少なくとも1日1回の電話をくれていました。

ある時からメッセに不明瞭な文字が混じるようになり、その2日後、連絡が途絶えました。半日以上音沙汰がない、というのは、彼とやりとりを初めて3年間で初めてのことでした。私は彼の状態を悟りました。最悪の事態も想定しました。それは、彼が私のバースデーを祝ってくれてたった1週間後のことでした。

祈るような気持でこの文章を書き、一生会わないつもりだった彼と会うことを決めたのもこのときでした。

このことは別の友達にしか話してておらず、彼に会うことを勧めてくれたのも、というか会ってよいのかと迷っていた私を、命がかかってるのにそんなこと言ってる場合かと叱ってくれたのはその友達でした。

いま、当時の文章を読み直すと、その頃の想いが蘇ってきます。

以下、その時の文章です。

ここFABで藤井さんに紹介していただいた「バースデイガール」を手にしました。
この村上春樹の短編は彼が翻訳したバースデイについての短編集「バースデイストーリーズ」のために書き下ろされました。

私は村上春樹を小説家として知りましたが、彼の作品は時によってハマるときとどうしても拒否反応起こすときがあります。
その点、彼の翻訳は今のところハズレがなくて村上春樹翻訳ライブラリーは大好きです。

この本を手に取ったのは藤井さんのオススメだからでもあったのですが、私自身が2月にバースデイを迎えたからです。

ただ、2人の友達のアドバイスにより皆さまのところにFacebookの通知がいかないように誕生日を非公開にしました。
2人の友達も非公開にしてるし、ここ数年バースデイ通知でのトラブルが少しあったのと、私自身がみなさまがバースデイの時などにお返しを忘れるなどの失礼をしてしまいそうだったので。

それにも関わらず、私はバースデイが好きです。

誕生日を伏せてても憶えてくれたひとからの優しいお祝いやメッセージ、プレゼントは私を幸せにしてくれたし、もし世界中の誰もが私のバースデイを忘れてしまったとしても、やはりバースデイは特別なのだと思うのです。

毎年ちゃんとめぐってくるバースデイ。
変わるようできっと変わらない私自身やあなた自身。
たぶん、バースデイを考えることは人生を考えるに似た儀式のような特別ななにかで、そこには祝祭だけではない祈りのようなものがあるのだと思います。

村上春樹は別にバースデイにまつわる短編を書いています。
回転木馬のデッドヒートに入ってたと思うのですが、ある男性が30歳のバースデーに、人生を60年と定めて、今日を折り返し地点とするのです。
私はこの短編が好きで、これに倣って私も自分の生涯を60歳までと定め、30歳のバースデーを人生の折り返し地点としました。
なので逆算してやりたいこと、やるべきことをこなすのに忙しいです。残りの人生、あと18年くらいですから。

ネタバレになりますが「バースデイガール」に願い事をたったひとつするシーンがあります。

私はきっとこの状況になれば間違いなくこの願い事をします。

「あなたのうえに、また素敵なバースデイが巡ってきますように。できれば何度もいっぱい」

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