見出し画像

赤毛のアンと介護

赤毛のアンが他の少女小説と一線を画すのは、女性の生活がリアリティに溢れて描かれているから。100年たって生活様式が変わった現代でさえも、鮮やかにアンシリーズの女性たちのささやかな幸せやユーモアや小さな呪いたちが私達に訴えてくる。

20世紀を目前にした、新しい時代の、片田舎の保守的な村において彼女が直面した多くの葛藤が潜んでいる。時代の制約や価値観によって書きたかったけど書けなかったことすら、よく目を凝らせば浮かび上がってくる。

その一つがアンと介護の問題だ。

赤毛のアンは少女小説としては衝撃的なラストだと言って良い。

あれだけ勉強に秀でて才能に溢れ、ホテルのコンサートでも絶賛されて地元の社交界で一目置かれた若い女の子が、エイブリー奨学金と大学進学をあきらめて養母の介護の生活に入りヤングケアラーの道を行くのだ。

私達はその後の続編で、アンが進学し、校長としてのキャリアを積み、結婚することは知っているから、これは一時的なことと割り切ることができるが、グリンゲイブルスのアンは当初、一巻で完結したものとしてモンゴメリは執筆した。

つまり、子ども時代を経て、前途洋々な娘時代が来るかと思われたら、そこで介護生活に入って、物語が終わるのだ。

介護と言っても目が悪いマリラを一人暮らしにさせておけない、ということなのだけれど、当時の電化製品もない暮らしぶりのなか、しかもこれに双子の兄妹まで引き取るので16歳にして介護と子育てと、教師としての仕事と3足のわらじを履くことになる。

マリラはこのことにずっと罪悪感を抱いていて、アンをずっと大学にやらなければならないと思い悩んでいる。

そもそも、アンが笑顔でマリラのためにアボンリーに残ると言ったときも、マリラは「そんなことはいけない!」と叫ぶ。

私はそういうマリラに、ちょっと不思議な違和感を抱いていた。

60前後の子どものいない兄妹が11歳の子供を引き取って兄は亡くなり、妹は目を悪くしているとなったら、引き取られた孤児が進学を諦めて家に残るのはわりと当たり前のことではないのか。ましてやこの時代は大学に行く女子は今よりもずっと少数派だったはずだ。子どもの頃の私は、きっと保守的な日本と違って西欧社会はもっと女の子は自由なのだろうと思いこんでいたのだけれど、その後、アンシリーズでは介護で人生にお預けを食らう女性たちがいっぱい出てくる。

たとえば「アンの幸福」では、口の悪いギブソン夫人の介護のため、娘のポーリーンは罵られながら毎日介護をしている。見かねてアンが一日だけ交代し、友だちの結婚式に出させてあげて、ポーリーンはそこで素敵な出会いに恵まれるのだけれど、帰宅後は「私はお母さまに必要とされているのですもの」と介護生活に戻る。

「アンの夢の家」でも、ジム船長の話によるとその家を建てた先生は、婚約者が祖父母の介護を終えるのを待って、結婚を引き伸ばされて、待ちに待っていた。

「アンの友達」のでも、自分が死ぬまで息子が結婚することを許さず、それを婚約者に告げることもさせず、若い娘時代を台無しにさせたのち、亡くなり、息子は晴れてプロポーズするという微妙な結末のカップルが存在する。

アンの生きた時代、適齢期の女性が介護に縛られるのは当たり前にあちこちにあったことなのだ。

モンゴメリ自身、祖父母の介護をして看取ってから、婚約者と遅い結婚をしている。

それを考えたらやはり、私の目のためにアンの進学を諦めさせるなんてできない!というマリラの叫びにはなにか綺麗事のような作られたような違和感を感じる。

アンという名の少女Anne With An Eではその違和感に答えてくれるかのような設定がある。

まず、最初に登校した日から、アンはいぢわるなクラスメートから(おそらくジョシー・パイ)あなたは介護のために引き取られた子ね、と言われる。アンは否定するけれど、やはりそう考えられるのは納得がいく。

さらにドラマが進むと、マリラとマシューの姉弟は(何故かドラマ版ではマリラが姉でマシューが弟)マイケルという長男(おそらくマリラには弟、マシューには兄)がいたことがわかる。彼が子どものころ若くして亡くなったことをきっかけに一家は全員人生が変わってしまう。マシューは学校をやめ、農作業に励み、マリラも同様、立ち直れなくなった母の代わりに家のことを引き受けることになる。ギルバートの父親、ジョン・ブライスとの恋はそのために身を引くことになる。

そうなると、なんとなく、二人が還暦近くになって子どもを引き取る気になったことも、アンがヤングケアラーの道を選ぼうととすると反対することもわかる。マリラ自身が、幼い頃からヤングケアラーとして人生を潰されてきたのだ。愛するアンに同じ思いをさせたくないのだ。

アンは少女小説としてよくそのライフスタイルやファッションや、カントリーな憧れのお菓子や風景がフューチャーされるけれど、決して厳しい女の現実からも目をそらさない。そういうタフさがリアリティとなってアンの世界を支えているのだと改めて思う。この年になっても、アンはちゃんと読むにたえるし、様々な発見があって、私の人生を彩ってくれるのだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?