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「Revolver」もしくは「PetSounds」としての「Rilla of Ingleside」

「Anne of Greengables 赤毛のアン」はメルヘンな少女小説なのか。

赤毛のアンを原作としたドラマ「アンという名の少女 Anne with an E」のFacebookグループを運営していて、集まってくださったアンのファンの方がたのコメントを読んでいると「このドラマ重すぎ」「怒涛の展開や社会問題はいらない」「赤毛のアンはふんわり楽しんでいたい」という声がいくつか見られた。
その気持ちはわかる。詐欺師コンビのクリフハンガーは必要なかったし、改めてドラマあらすじをザッと見ると原作以外のエピソードや登場人物がSeason2やSeason3のほとんどを占めていることに驚く。
それでも制作陣のアンや登場人物、世界観に対する理解と愛は深く、キャラクターたちは原作に忠実に作られているので彼らがどんな動きをしても自然だった。このキャラクターにこんな解釈があるのか!と目から鱗だったことも多い。

ドラマは原作にはあまり触れてなかった印象の児童虐待、閉じた村社会での差別、女性の教育問題を含むウーマンリブ、性的ハラスメント、同性愛、介護とヤングケアラー、黒人差別、カナダ原住民問題とこれでもかというほどのてんこ盛りで進んでいく。

赤毛のアンは、たとえば雑誌などで特集が組まれると、その可愛らしいパフスリーブなどのファッションやめくるめくお菓子たち、美しいカナディアンカントリーの風景などがフューチャーされ、乙女心を刺激し、過ぎ去った少女時代を懐かしむ文脈でまとめられている。そんな関連本やファンブックスもいっぱい出ていて私もその路線は大好きだ。

けれど、それがアンの全てなのだろうか。大多数のひとにとってはそうかもしれないし、その文脈で語られることが多良いかもしれないけれど。
もし、アンの物語がそれだけのものだったら、アンはここまで私たちの心を捕らえなかったし、アンの翻訳者村岡花子さんが国民の多くが見る朝ドラのヒロインになりもしなかっただろう。

ビートルズがイノセントなモップ頭のアイドルだけで終わらなかったように、ビーチ・ボーイズが、アメリカの良き時代のポップなイメージソングだけでは語れないように。

「ラバーソウル」や「リボルバー」「ペット・サウンズ」が彼らの従来のポップなイメージを打破し、繊細でアーティスティックで重厚な世界に踏み込んでいったように、赤毛のアンにも似たような文脈での読み方が必要な時代なのではないか。

私はここで「アンの娘リラ」を読み込むことで、アン全体の読み方を変える「ラバーソウル」なり「ペットサウンズ」にできたらと思う。
この作品によって、もともと平穏に見えた日常の中に潜んでいた女性としての、カナダ人としての、英語文化圏白人としての危うさや矛盾や諸問題が噴出してくる。

それくらい、アンシリーズにとって「アンの娘リラ Rilla of Ingleside」は重要な物語なのだ。
以後この本の魅力や孕むものの多さを、数回に分けて綴っていこうと思う。


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