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2021.1.4 「だいじょうぶ」

今日から息子の保育園が始まったので、自宅作業に取りかかる。黙々と連載原稿を書き、事務作業をする。産後、限られた時間しか仕事ができなくなってからのほうが自宅での仕事量は増えているけれど、なんとかなっているのは保育園のおかげだとしみじみと思う。なにより私自身、時間が限られているからこそ集中できるという、難儀な性質であったりもする。

うちは、保育園に行っているわりには遅く預けて早く迎えに行くので、預けている時間は近所の幼稚園に通う子たちとあまり変わらない。早く迎えに行くのは、せっかくフリーランスで働いているのだから時間の使い方は自由だし、少しでも息子と過ごす時間を確保したいからなのだけど、最近は遊んであげているのではなく相手をしてもらっているのではと思うくらい大人びた瞬間が増えた。

乳児期からずっと、私は事あるごとに息子に「大丈夫?」と聞いてきた。転んだとき、食べ物を吐きだしたとき、むせたとき、熱っぽいとき、反射的に「大丈夫?」と声に出している。

ある時、息子が額を縫う怪我をした。その後しばらく、私は怪我の治りが気になり、痛みはないか心配で、毎日のように「痛くない?大丈夫?」と聞いていた。すると、私がおでこを触ろうとするだけで「いたくないよ!だいじょぶ!」と言うようになった。ああ、心配しすぎたかな?と思いきや、本人は嬉しそうだった。

さらに、2歳手前あたりから、息子が同じように気遣ってくれる瞬間が増えた。今夜に至っては、くしゃみをしても、足をぶつけてそっと痛がっても、ちょっと困ったことがあって「え、まずいな」と思わず独り言をつぶやいても、素早く「だいじょうぶ?」と気にかけてくれた。痛がっている場合には「いたいのーとんでけー!」と、私の真似をして気遣ってくれるオマケ付きだ。

その度に、それが本当は大丈夫ではないかもしれなくても私は心から「大丈夫!ありがとう!」と答える。にっこりと。実際心からうれしい顔をしているだろう。それくらいに、その「だいじょうぶ?」には効果があり、おかげでどれだけ疲れてもやっていけている。そう考えると、やはり相手をしてもらっているような気がする。この尊い瞬間すべてを覚えておけたらいいのに。

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