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自宅取材の日

夏本番が不安になるような暑さの日だった。「今日の撮影、外でランニングシーンがあるんだよな」と思い出しては覚悟を決める。

今日は午後から自宅での取材が入っていた。編集者さん、ライターさん、カメラマンさんを迎え入れる。こんなご時世なので、最小人数でいらしてくださる。昨年からの取り組みのこと、今のこと、これからのこと、できるだけ丁寧に答える。室内でいくつかのシーンを撮影し、屋外でも撮影する。ランニングシーンは木陰を選んでくださってありがたかった。良い仕上がりになるといいのだけど。

今日のような自宅での撮影は珍しい。自撮りした写真を渡すことはよくあるのだけど、自宅で撮影することはこれまでなかった。私は表に出ることの多い職業を生業にしてから、プライベートについて自分で決めた線引きが明確にあって、これまでそれを崩さなかったのだけど、最近は家に関しては少し和らげることにした。その理由は、少し先の未来にはこの家に私はいないし、この家自体が無くなるから。順調にいけば夏が終わる頃にはこの家を出て行くことになるし、この家も解体される。

過去のどの家も仮住まいと認識していたから引越しの際なんてあっさりしたものだったのに、今の家は出ることを想像するだけでも寂しい。その理由はわかりきっていて、この家は息子が生まれてからこれまで育ってきた場所だから。生まれたてのふにゃふにゃだった頃から、息子の写真の多くはこの家や周辺で撮られてきた。私は今、人生の中でも特別にかけがえのない時を過ごしていると感じているし、これから何十年もこの家での記憶を懐かしむことになるとわかっている。家を出る日が近づくにつれて、そんな未来の自分を想像するようになった。きっと、切なくて優しい気持ちになるのだろう。

とはいえ、まだ私たちはここに住んでいるし、いつだって今を大切にしたい。あと少し、ここでの暮らしを愛おしむように過ごしていきたい。

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