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関心領域 で知る自分

YouTubeで流れた予告映像の
ある光景に覚えた違和感からずっと気になり
公開初日に観たいと思っていた
『関心領域 the zone of interest』
出演者も全く知らず、言語もドイツ語の作品。(それすらも!)

この作品を自宅では 体感 できなかった。(ニャンコが賑やかだから)
映画館でしか 体感 出来なかった。
現実では 体感 したくないけれど。
似たような違和感はそれほど遠くない。

モノづくりの立場の人にもお勧めしたいけれど、
なにも知らないであろう子供にも見てもらいたい何が見えるか。聞いてみたい。そんな作品。

ここに記しているものは基本的に監督の演出、作品から私が感じたモノ。
どんな作品であるかなどの紹介文ではありません。

ネタバレはしないように注意して記していますが気になる方は
見る前に何も知りたくないよ!という方は
ご覧いただくのを、ご遠慮くださいますようお願いいたします。

上映開始からずっと映画(作品)とは思えないカメラワークと役者達。
私達と何も変わらない通常の日常生活が流れている映像。
そこに写っている違和感や音。
私には見えている多くのものから感じるモノとは明らかに異なっていて不協和音のよう。
私にしか見えていないのだろうか?
隣の人には聞こえていないのかな?
決してホラー的な音ではなくて、
彼らの日常に流れていた音と景色だということ。

身を乗り出す人、頭を抱える人、見てる人も、人それぞれ。

この映画のタイトルを調べれば想像がつくでしょう。
そしてある程度の知識があれば。

でも想像していたものとは全然違った。
遠い歴史の話ではなくて、現代社会にも流れているこの異様さを思い起こさせられた。

久しぶりにパンフレットを読み込んだ。
監督は『暴力的な再現は描きたくなかった。』と記している。

そう。
『暴力的なシーン、物は一切現れないのに、確実に暴力が表現されている』といった怖さを感じた。
誰も死んでいないのに、確実に死が表現されている。
それに気付くのも、人それぞれ。
そうでしょ?この世界も。

それは知識や記憶が怖さと結びつけているからとも言えるのか。
同じものを観ても感じる人と感じない人がいるってやつ。

生まれたばかりの赤ちゃんや知識がインプットされていないと思われる子供にも彼らの中での解釈で何かは受け取っているよう。な、描写。

そうゆう部分には
『潜在的に持っている(傾いている方向)モノが人それぞれ違う』のかな?なんて。

『見えていないものを見せたい。』という監督の狙い通りだ。

鑑賞前に一本だけこの作品について話しているイギリス在住の方の動画を見た。
『この映画はアカデミー賞で音響賞を受賞しているので興味ある人は是非映画館で体感してほしい』
といっていたので音質の良いシアター(プラス料金のやつ!)での上映があるのかな?と思っていたけれど、
私の住む地域内では特別そうゆう形の上映はなさそうだった。

鑑賞して思ったのは迫力のあるテクノロジーで演出された音ではなく、
監督の音の扱い方が受賞に値したんだ。て。

上映直前になり場内に流れる緊張感のようなモノを感じ、
珍しくレイティングが気になり目を向けたらG指定だった。

『あ、子供が鑑賞しても問題ないレベルなのね』という安心感が。

本当、規制を要するような描写は無かった。
むしろ人気アニメとかの方が過激な描写ばかりですね。

でもこの作品を子供と一緒に鑑賞する大人はどのくらいいるのだろう。

個人的にこの作品を鑑賞した子供達の感想を知りたいと思った。
歴史の知識を何も持たない人間が
既に持っている潜在的や感覚等に何を感じさせるのか。

この諺を思い出した。

「Ignorance and incuriosity are two very soft pillows.」

無知と無関心はとても柔らかい枕である。無知と無関心のおかげでゆっくり眠れる。知らぬが仏。

無知、無神経である事は恐怖を感じない代わりに
暴力、恐怖を作り出す可能性がある。

この映画を見ると自分がどこに関心、意識を向けている人間なのか見える気がした。

タイトルの通りアウシュヴィッツ収容所との境界線を扱う作品。

この事に関する映画は過去にも数多く作られている。
私も全てではないけれどいくつかは見ている。
でもどれももう一度見たいとは思えたことがない。というのが正直なところ。

しかし、なぜかこの関心領域はもう一度観たい。と思う何かがある。

・・・

パンフレットに記されている監督のこのメッセージ。
とても共感した。


壁の中にいる人間
壁の外で積極的に加担して人間
壁の外で無意識に加担してる人間

どれも私達と同じ人間で、
どこにでも自分を傾けることも出来る。

自分の中にいる良いオオカミと悪いオオカミのどちらを育てるか
自分で選べる。選んでいる。

事前知識はほぼ入れずに観たということもあってか想像とはだいぶ異なり、
私にとって域の超えた作品だった。


最後まで、読んでいただきどうもありがとうございます! 読んでくださった皆様のハートを動かす小さな光になっていると、 大変嬉しいです♡ merci beaucoup♡