社会人になってから「書く」機会ってどれぐらいあるのだろうか?
私は書くことが好きで毎日のようにnoteに記事とつぶやきを書いています。それは好きだから……。誰に言われるわけでもなく自分の意思で書いています。
よくよく考えてみると社会人になってから「書く」ことは減っていると思います。
私が仕事で「書く」ことは……
私は障害者施設の勤務です。そんな私が仕事で「書く」機会といえば……
①は毎日書くものだけど書く量は少ないのです。特になければ利用者さん1人に対して数行で済んでしまいます。
②は半年に1回書くだけ。書類も文章の量も多くなります。
③は送迎や取引先に行くとき車の運転をします。もしそこで事故があれば書きます。あと、利用者さんの怪我などのときに書きます。できれば書きたくない……
④は研修に行ったときに書くもの。もちろん、研修に行かないと書くことはありません。書くと人によりますがレポートみたいに文章は長くなります。
……と障害者施設(就労支援)勤務の私が業務中に「書く」といったらこれぐらいです。
私の主な業務は利用者さんを取引先に引率し、取引先に依頼された作業を教えて作業をしていくことです。
なので私の業務上、あまり「書く」ことはほとんどしないようなもの。
文章力は必要に越したことはありません。
社会人になると「書く」機会って少ないよね
こうやって、考えてみると社会人になってから文章を書くことは少なくなったなとしみじみ思います。
学生のときは、作文やイベントの感想などたくさん書く機会はあったのに……。正直、私は夏休みの宿題、読書感想文は苦手でした。
書き方が分からなかったし、イベントごとに感想を書くのも「なんでやらないといけないんだろう」と嫌々ながら書いていたのを思い出します。
それが10年以上経って、書くことが好きになるとは思いませんでした。多分、学生の頃の私がこうやって毎日のように文章を書いていることに驚くと思います。
自分で思い返してみても不思議です。学生時代は義務的に「書く」ことが多すぎて、嫌になっていたのかもしれません。
日記は書いていたけど
小さい頃から日記を書いていました。当時は好きとかの意識はありませんでした。
「自然にやっていた」し、「いつのまにか習慣化していた」という言葉の方が近いような気がします。
「書く」ことが好きと改めて実感したのはここ数年。
ある意味、「書く」ことが「自分の居場所を作っている」という感覚でもあります。
終わり
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