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必需品 と 嗜好品

理由があって写真を撮る人なんているのだろうか。

今ではほとんどの人が手にした鉄の塊は物心着くまえの赤ん坊からお歳を召したおばあちゃんまでもが写真をとる時代だ。

写真というのはコーヒーやウイスキーのように嗜好品だと思っている。

なくても生きていける。しかしあると便利なのが写真だ。

私は写真を自己表現としてではなくひとつのツールとして認識している。

つまり、”結果”写真であっただけであり音でも言葉でも何でもよかった。

ツール(=写真)を通して自己満足したかっただけなのである。

誰にも強要されず誰からも指図を受けず、自分勝手にやりたい、それが”結果”写真だった。

だから当然仕事だとも思ってなければ仕事にしたいとも思わない。

昔は写真を仕事にしたいと思ったことももちろんあった。

そういう本をたくさん読み漁り、ブライダルの現場やベビーフォトのカメラマンのアシスタントについたりもした。実に本当の話である。

しかしカメラマンは架空の職業でもなければタレントのような人気商売でもない(一概には言えないが)。

カメラマンとはその道の職人であり”仕事”なのだ。

ではどうやってカメラマンになるのか。

カメラマンではない私が説明をしても一ミリも説得力はないが、カメラマンにならなかった、なれなかった身として分かったことを書いていこうと思う。


カメラマンとはつまり人間関係そのものだ。

こう思ったのはカメラを手にしてから5年もの月日が経っていた。

それまでの私は上に書いた通り、カメラマンになる為に何でもした。そう、広く浅く。

最初に違和感に気づいたのは専門学校に通っている時だった。

「あなたは何を撮りたいですか」

おそらく100人が100人、いや1000人が1000人幾度となく投げかけられた言葉だろう。

学校を出れば専門の特殊な技術が身について、カメラマンとしてどこかの会社に雇われて、色んな撮影をするんだろうな、と大きな勘違いをしていた。

今考えただけでも笑い話にすらならないような的外れな想像をしていたのだ。

「あなたは何を撮りたいですか」

その質問だけで思考が停止した。

だってそんなこと一ミリも考えたことなんてなかったのだ。

質問の意味すら分からなくなってしまった。

一応学校だったので課題も提出したし、ポートフォリオだって作った。

しかし私は何を撮りたいのか分からなかった。

私のクラスは20人程度の小規模のクラスで、みんな働きながら週3回通っていた。

そこでは、写真の歴史や有名な写真家についてなどの講義、サブカルチャー、スタジオワーク、Macなどすぐに必要になりそうな授業があり、中でも暗室の授業は写真の理解を深めるのにとても大事な時間だった。

写真について学べば学ぶほど興味が湧いたが、カメラマンについて考えれば考えるほど遠く答えのないそれこそ架空の人物のように思えてならなかった。

一年とはあっという間で卒業まで数ヶ月になった頃、始まった。就活だ。

私はその時点でその道で就職する想像が全くできなかった。気持ちの面もあるが、技術の面での不安が大きかった。

カメラマンとしての王道はきっと、スタジオアシスタントとして数年勤め上げその後誰かの直アシになったり企業に就職したり、はたまたフリーのカメラマンになったり。

となるとその人たちはスタジオを出た先がゴールなのか、、、

そう思った時にその”出た先”というのが全く分からなかった。

「あなたは何を撮りたいですか」

この質問に尽きる。

その先が分からない私にとってこの道は無いなと思ってしまったのだ。

卒業してしばらくはスタジオのアシスタントについておけばよかったと後悔したこともあったが今となってはこれでよかったと素直に思える。自己満足できたわけだ。

それからは写真を好きなように楽しむことにした。

飲食店に就職してみたがやはりタイムイズマネー精神だったしお金より時間が大事だと感じたので正社員を辞め、好きな仕事を2つ掛け持ちしている。

1つだけだとすぐに飽きるし、嫌なことがあったらすぐに辞めたくなってしまうからあえて2つ掛け持ちすることでモチベーションを保っている。

写真はというと、またころころ話が変わってしまうが、舞台役者の魅力にハマりそっちの界隈で世話になっている。

細かくいうと、舞台を観るのが好きというより、舞台役者が好きなのだ。

この理由については私もまだ分かっていない。笑

一つ分かるのは、頑張っている姿に感動するということだ。

昔自分が吹奏楽部でその後楽器屋さんになりたくさんの学校の生徒さんや先生たちの一生懸命頑張る姿が心から好きで心から応援したい、そう思ってきた。

それが今に繋がっているのかもしれない。

何かに向かって頑張る人を私は写真というツールを使って応援したいと思った。


それが私が写真を撮る理由なのかもしれない。

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