目の前のいい人は、本当にいい人なの?

世の中には善人ぶっている者がいます。
何某が仲間にしてほしいから入れてあげてよ、
悪いことをしても謝ってるんだから許してあげてよ、
困っている人がいるからみんなで助けてあげてよ。
では何かあったらあなたが全責任をとってね?と言うととたんに逃げ腰になってしまいます。

この手合いは、他人がどんなに犠牲になっても構わないので
自分が善人に見られたいと思ってるので困りますね。
マイナスを他人に分散させて自分の不利益を減らすことができれば、
総量でどれだけの被害が出てたとしても自分がわずかなプラスを手に入れたら問題ないのです。

こういうのは異を唱えようとすると、悪人のレッテルを貼られて糾弾されることになる恐れが高い。
善人ぶってる者は周囲にとっては害悪でしかないので、
本来なら優先順位をかなり上げて排除か、せめて無力化しないといけない輩ですが、
叩く者は大声で糾弾されてしまうので、あきらめる者も多いです。

被害を受けている者も、善人らしさをアピールしないと自分が悪人に見えてしまうので、
どんなに辛い思いをしてても、対外的には善人ぶってる者に同調し、受け入れてしまうことが多いです。

善人ぶる人は声が大きいので、
スピーカーとして自分の利益のために利用したい者と、
ネタは何でもいいので自分の善人っぷりをアピールしたい者の利害が一致してしまうと、
ひたすら周囲に迷惑がかかります。

言論には言論で対決できればよいのですが、
自分の利益のために他人を犠牲にする者が正々堂々と議論に応じるとは到底思えないので、
搦手や汚い手を使わないとどうしようもない場合もあります。
汚れを掃除するのは手が汚れるので嫌なことですが、
誰かが動かないと事態は悪化する一方です。

私(お姉ちゃん)としては、
勇気を出して公のために行動を起こす者は、やはり応援したくなりますね。
その原動力が復讐のような私的な感情だとしても、
結果として多くの人が救われるのであれば、動機は何であっても問題ないでしょう。

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